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秘境!!ハンセン病と青松園の島:大島(香川)

こんにちは! ドクターリトーです。今回の記事では、少々特殊な離島について取り上げてみたいと思います。瀬戸内海は香川県に所属する、大島という非常に小さな離島です。

【大島情報】

《アクセス》高松から官用船(無料)が出ているので、それに乗りましょう。申請が必要です。こんな島、他にないですよ笑

《宿泊》宿泊するような島じゃありません

《食事》食堂などは一般人向けはないようです。弁当でも持参しましょう。

 

◾️大島

 

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&nbsphttp://www.city.takamatsu.kagawa.jp/simin/seikatu/ritou/ohshima/index.htm

 

大島はひょうたん形をしていて、そして高松から非常に近い距離にあるのが特徴的な島。

 

大島はもともとは二つの島だったのですが、いつしか砂州で繋がり、ひょうたんのような不思議な形の島になりました。人口は100人少しのようです。

 

といっても大島は特殊な島なので、普通の意味での住民というより、ハンセン病の患者さんたちとその関係者たちです。

 

人が住んでいるのは、主に島の中間、砂州の部分になります。

 

規模は違いますが北海道の函館も砂州で繋がっているという面で似たような地形です。どうやら砂州の部分に街は形成される傾向があるようで、面白いです。平坦で便利なのでしょうね。

 

◾️ハンセン病患者の島

 

この島を有名にしているのは、ハンセン病患者の療養施設である「青松園」の存在です。

青松園の前身である「第四療養所」が、1909年、まだ明治時代の頃に大島に設置されました。

 

この第四療養所は、ハンセン病に罹患した患者を隔離するための施設でした。

なぜ隔離することにしたのかというと、当時ハンセン病は感染力の強い病であると考えられていたからです。

 

※現在ではハンセン病の治療法も確立され、治癒者から感染することはありません。またハンセン病の感染力は実は弱く、日常生活において感染することはほとんどないようです。

 

私があれこれ書いて誤解を与えてもいけないと思うので、詳しくは以下のページをご参照ください

→ http://www.gov-online.go.jp/useful/article/201108/3.html

 

大島には、ハンセン病を患った人々が歴史的に隔離されてきました。そして青松園はその方たちのための施設であったということです。

私がこの島に行こうと思ったのは、一体どんな島なのか、何故か気にかかったからです。

高松から行くことが出来る離島の中でも、その歴史的経緯もあり、特異な存在の離島でもありますし。

 

◾️船賃無料で行ける島

 

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大島には、この船を使って行きます。

船からして特殊で、大島に行くには官用船に乗るしかありません。

普通のフェリーは乗船料金がかかるのですが、官用船はただ、無料です。その代わり、乗船受け付け所にて名簿に名前を書かなくてはなりません。

船はやがて港を離れます。他にも乗客が数人いました。大島で暮らす人々に会いに行く、新類など関係者の人なのかも知れません。

 

◾️青松園

 

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大島に着くと、こんな置物がありました。そして浜全体に松の木がたくさん植わっています。

 

実はこの大島、源平の合戦の舞台になった島でもあり、戦死者を弔うために松の木を植えたものが育っているんですね。

樹齢八百年の松もあるというから驚きです。合戦の直後に植えられたものが、そのまま生きているということですね。

 

浜を通り過ぎ、青松園へと入ります。

この離島を見て回るためには、必ずこの施設で許可を得なければならないのです。

 

◾️風の舞

 

大島を徒歩で巡ってみると、実に宗教関係の施設やモニュメントが多いことに気がつかされます。

仏教、キリスト教、神社関係・・・何でもありです。この島で亡くなった人たちを弔うためのものでしょう。

 

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一際目をひく、こんなモニュメントもありました。

 

「風の舞」というらしいです。どこか物悲しさを漂わせています。

この島で亡くなった人々が、死後に魂は風に乗って自由に解き放たれることを願って作られたものらしいです。

 

◾️悲しみに満ちた島

 

そういえば、この島にいる間じゅう、私は何故か分からないですが、ずっとソワソワとしていました。

 

こんなことは島旅において初めてのことです。何か得体の知れない違和感を持っていました。

そして早くこの島を出たいなあと、自ら志願して大島へとやってきたのに帰りのフェリーが待ち遠しく感じてしまう気持ちも正直ありました。

 

場所には人の感情が残ることがあるという言い方もありますが、もしかするとそんな事なのかも知れません。

 

大島に隔離されて一生を過ごすことになった人たちの失望、無念、偏見を持たれることに対する悲しみなどの感情が、この島には染み込んでいるのではないかと、そんな感じもしました。

 

望んで離島に暮らしているのならばいいのですが、強制的に周囲から隔絶された場所へ人を押し込めるということは、やはり非常によろしくありません。

 

しかもハンセン病に関しては誤解で、そして大島に患者を押し込めることで無用な偏見も招いた訳ですから、更によろしくありません。

 

私も、風の舞に倣って、この島でなくなった方たちの魂が瀬戸内海の海を越えて故郷に帰られることを願ってやみません。

 

もし大島に関心を持たれるなら、一度足を運ばれるのが良いと思います。

中途半端な気持ちで行くのであれば、失礼だという気はします。そんなところです。

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