最南端・波照間島の南にあるとされた伝説の島「ぱいぱてぃろーま」


 

こんにちは、ドクターリトーです。

 

今回の記事では、八重山諸島、波照間島(はてるまじま)にまつわる伝説について取り上げてみたいと思います。

 

波照間島の他の記事もご覧ください。
http://ritou-navi.com/?p=819 

 

 

波照間島は、日本の有人島としては最南端の島です。(無人島も含めた最南端の島は、沖ノ鳥島。満潮時に海中に沈むので、コンクリートの防波堤で囲まれるようになった小さな島(岩?)です)

 

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ご覧のように、波照間島の南側には「日本最南端平和の碑」が作られています。

 

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日本領であることを示すために、日の丸の碑も用意されています。本土からかなり距離のある離島でも、日の丸がわざわざ示してある島というのは、普通ありません。

 

それだけ外国に近く、日本であるという明確な定義を必要としている離島であるということです。台湾から非常に近く、南隣はフィリピン。そんな位置にあります。

 

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日本最南端の碑の近くには、まさに火星の地表のような絶景が広がります。石灰岩で形成された不思議な地形。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

ところで波照間島には、不思議な伝説があり、それは「南波照間島(ぱいぱてぃろーま)」という伝説です。

 

波照間島のさらに南に、南波照間島(ぱいぱてぃろーま)という島があり、そこには楽園が広がっているという伝説です。

 

ぱいぱてぃろーま。

 

聞きなれない単語ですが、「ぱい(南)+ぱてぃ(果て)+ろーま(→うるま、サンゴ礁という意味)」というほどの意味だそうです。南の果てにあるサンゴ礁の島、ですね。

 

琉球王国が沖縄を治めていた時代。17世紀頃。

 

波照間島を含む八重山諸島は琉球に属領として支配されており、不当な重税を課され、生活は厳しいものでした(琉球もまた、鹿児島の薩摩藩から支配され、しぼられていたので、支配の入れ子構造というやつです)。

 

 

そこで、住民たちは住み慣れた波照間島を皆で離れ、船に乗り、楽園である南波照間島へと向かうことにしました。

 

これは驚くべきことに、本当に決行されたと言います。

 

南波照間島は、伝説上・・・作り話ではなく、実在すると本当に思われていたということです。

 

これはあながちうそではなく、今でこそ波照間島は日本最南端の島ですが、昔はもちろん明確な国境などありませんでした。

 

波照間島の南には、フィリピンや、他の南の島があり、そこが南波照間島とされたのではないかということです。

 

・・・・といっても、距離は数百キロはありそうですが。

 

旅立った住民たちはどうなったのか、今は誰にも分かりません。

 

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上の写真は、波照間島の南側にある「ペムチ浜」です。北側のニシ浜は絶景ビーチであることで有名ですが、このペムチ浜こそ、最南端の島の最南端のビーチ。つまり、日本で最も南に位置する浜です。

 

寂しい土地なのですが、この海の向こうに、昔の波照間の島民たちは、パイパティローマを思い描いた訳ですね。

 

 

この南波照間島伝説ですが、沖縄の常世思想である「ニライカナイ」とも親和性があり、興味をそそられます。

南西諸島の人々は、海の向こうにニライカナイという楽土があり、すべてのものはそこからもたらされると信じていました。

 

 

 

波照間島を訪れた際には、是非南波照間島、ぱいぱてぃろーまについて思いを巡らせてみてください。

 

確かにこの島の美しい海を眺めていると、海の向こうに楽園がある。そんな気が確かにしてきます。

 

これは実際に行かないと分からない感覚かも知れません。

 

 

さあ、島旅に出ましょう!!

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