海賊大名・九鬼嘉隆の首塚・胴塚。そして日本で唯一「寝屋子制度」も残る答志島。


 

こんにちは、ドクターリトーです。

 

今回の記事では、三重県の伊勢湾に浮かぶ答志島(とうしじま)について、取り上げてみたいと思います。

 

tohshijima
http://imagic.qee.jp/sima2/mie/tohshijima.html

 

 

答志島は、かつて、海賊大名として名高かった、九鬼嘉隆(くきよしたか)の本拠地でした。

 

九鬼嘉隆と言えば、九鬼水軍の大将です。織田信長や豊臣秀吉の配下となり、瀬戸内海では、強力であった毛利水軍を破るなど、大きな功績があります。

 

しかし豊臣政権を揺るがす、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こります。

 

西軍と東軍に日本中が分かれて争う中で、九鬼家では、家名存続のために、ある策を取ります。

 

それは、九鬼嘉隆は西軍につき、息子の守隆(もりたか)は東軍につきます。こうすれば、どちらが勝っても家が取り潰されることはない訳です。もちろんどちらかは負けるので、捨て身の戦略ですが。

 

関ヶ原の戦いでは東軍が勝ち、西軍についた九鬼嘉隆は徳川家康に責任を示すため、自害することになりました。

 

実は守隆の功績が大きかったので、家康に助命は認められたのですが、それを待たずに、嘉隆は早まってしまいました。かなり残念な話ですが。

 

九鬼嘉隆の首は、家康のいる伏見城まで送られ、首実検を終えて、再び答志島へと返って来ました。

 

首と胴はそれぞれ分けて埋葬されました。

 

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こちらが、嘉隆の首が埋葬された場所です。首塚と言います。石で囲まれた場所ですね。

 

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答志島でも、一番の絶景ポイントです。伊勢の海が見渡せる、景色の良いところを選んで埋葬されたのでした。

 

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こちらは、胴塚。胴塚は山のふもとにあります。

 

この九鬼嘉隆が、万が一の時に、素早く水軍の船の漕ぎ手や兵を集めるためにも推奨したのが、「寝屋子制度」だとされています。

 

寝屋子制度とは、集落に暮らす若者達が、一つの家で寝食を共にする制度のこと。

 

若者達の面倒を見るのが、寝屋親と呼ばれる存在です。

 

若者達は一つの家で共同生活を送るので、共同体の結束を強める効果があります。また同じ寝屋子で育った若者達は、生涯強い絆で結ばれると言います。

 

寝屋子制度は昔は他の地域でも存在しましたが、今ではすっかり廃れ、この答志島だけで続いています。無形重要文化財にも指定されているそうですよ。

 

答志島は、実際に歩いてみると分かるのですが、なんとも言えない独特な雰囲気があります。

 

それも、寝屋子制度に象徴される、昔ながらの伝統がしっかりと息づいていることと関係があるのでしょう。

 

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答志島の街はこんな様子です。家の壁に、謎のマルハチマークが描かれています。

その理由については「マルハチ」マークと八幡神社の、こちらの記事を御覧ください。面白いですよ!!http://ritou-navi.com/?p=1159 

 

 

答志島は、本土との距離が近いのに、橋を架けるのに反対が多く、未だに架橋が実現していません。これも橋を架けると答志島の育んできた文化が破壊されることを恐れてのことでしょう。答志島とは、それだけ独自の伝統を重んじている土地柄で、非常に面白い離島です。産業がほぼ漁業のみで、島民の方が全てなんらかの形で漁業と関わりがあることも、特徴です。

 

さあ、島旅に出ましょう!!

ritou-navi.com(離島ナビ)


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