ボニン・アイランド!!日本と欧米の間で揺れた小笠原諸島。


 

こんにちは。ドクターリトーです。

 

今回の記事では、小笠原諸島がいかにして日本領になったのか。その歴史について、少々取り上げてみたいと思います。

 

というのも、小笠原諸島は、もともと日本の領土ではなかったからです。いや、どこの国の領土でもありませんでした。

なぜなら、小笠原諸島は長い間、誰も住んでいない無人島だったからです!

 

小笠原に人が住み始めたのは、1830年ごろの話。ということは、人が住み始めてまだ200年経っていないということです。しかも最初に住み始めたのは、日本人ではなく、欧米系の人々でした。

 

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こちらは、父島の街の一角にある、聖ジョージ教会。

 

日本で教会のある離島というと、隠れキリシタンで有名な五島列島が思い浮かびますが、そことは雰囲気がかなり違います。五島の教会は和風(?)の感じがしますが、聖ジョージ教会は、純洋風というか、いかにもアメリカにありそうな教会です。表にアルファベットで記された説明もあるし。

 

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この教会には、欧米系の方々の子孫(つまりキリスト教徒)が礼拝されるそうです。そう、小笠原諸島には、今でも欧米系の人々が住んでいるのです。実際島に行ってみると、顔立ちがいかにも西欧風な人を見かけます。西欧系の血を引く人の割合は、父島の全人口の10パーセント弱だとか、ガイドの人からは聞きました。

 

父島は、欧米系の人、そしてポリネシア系の人によって、開拓された島だったのです。

 

 

それでは、なぜ小笠原が日本の離島になったのかというと、小笠原定頼(おがさわらさだより)伝説があるからです。

 

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上の写真は、小笠原諸島発見の碑。「無人島発見之碑」と記されています。小笠原定頼という人がこの島を発見したとされています。

 

小笠原定頼は、安土桃山時代の人。もともと信州、今の長野県の城主であった武将で、1593年に太平洋を海で探検し、小笠原諸島を発見したらしいです。

 

小笠原定頼が、この島々の第一発見者。だから、「小笠原諸島」と呼ばれます。

 

ただこの定頼は、あくまで伝説上の人物で、実在性に疑問が多いにあるということです・・・笑 実に頼りない伝説。

 

ただし、小笠原定頼伝説は、後に日本が小笠原領有を確定させるための根拠として、利用されることになります。そういう意味では重要な意味が持ちました。

 

正式に日本が小笠原諸島の存在を知ったのは、江戸時代。1670年、紀州のミカン船が沖合で遭難し、たどりついたのが小笠原でした。

 

小笠原で船を作り直し、伊豆諸島を北へ伝って、ほうほうの体で日本本土へと帰り着きました。そして江戸幕府に小笠原諸島の報告をしたのです。その後幕府の探検使節が父島を訪れ、「此大日本内也(ここだいにほんのうちなり)」と、とりあえずは小笠原の領有宣言を行いました。

 

小笠原は、無人島(ぶにんのしま)と呼び慣わされました。文字通り無人島だからです。

 

英語圏では小笠原諸島のことを、ボニン・アイランド(Bonin Island)と呼びますが、その名の由来はここから来ています。

ぶにん→Bunin→Bonin ということです。

 

・・・・・・・・・・

 

江戸幕府は小笠原諸島をとりあえず領有宣言はしたものも、入植者を派遣する訳でもなく、その後200年程度も無人島の状態で放置していました。なぜなら本土からは遠い離島で、利用価値もなかったからです。

 

そうしているうちに、いつしか欧米系の方々が入植し、開拓が始まり・・・、ということらしいです。

 

江戸幕府は外国の入植者の存在を幕末になってようやく知り、使節を再び小笠原に派遣して、島民たちに対して、小笠原の日本領有宣言を行いました。海賊などからの庇護者を求めていた島民たちは、日本領となることを喜んで受け入れたと言います。

 

しかしその後幕末の一連の騒動にて、幕府は小笠原どころではなくなり、再び小笠原は放置されることになりました(本当に複雑で分かりにくいです・・笑)

 

正式に小笠原が日本領になったのは、明治の世になってから。明治政府が1876年に正式に世界に対して領有宣言を行い、ようやく小笠原諸島は日本領と確定しました。そして欧米系の人々は、日本人として、帰化しました。

 

その後太平洋戦争の結果、小笠原諸島はアメリカの支配下に置かれます。当時は日本系の人々は島を追い出され、欧米系の人だけが住むことを許されました。

 

そして1968年に、小笠原諸島は日本へと返還されました。その後日本から入植者がやってきて・・・今の小笠原に至ります。

 

小笠原諸島。本当に不思議な歴史をたどった島々です。小笠原諸島を訪れると、どこかに日本離れした欧米風の雰囲気が残っています。歴史を振り返ると、自然と理解できるかと思います。

 

日本と欧米。二つの文化の入り混じる小笠原。南西諸島とは一味違う歴史。是非訪れて感じてみてほしいと思います。

 

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ちなみに、小笠原諸島の島々の名前。だいたいが親族の名称になっているのです。

父島、兄島、弟島:父島列島

母島、姉島、妹島、姪島:母島列島

聟(むこ)島、媒(なこうど)島、嫁島:聟島列島

 

普通の離島でこういう名前がついていることはないので、明治時代になって領有後、半ば思いつきで焦って名付けた感じがして笑、そこも良いと思います。

 

 

 

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