具志堅用高に匹敵する石垣島の英雄。琉球王府に抗したオヤケアカハチ。


 

こんにちは。ドクターリトーです。

 

今回の記事では、石垣島を含む八重山諸島のとある英雄について取り上げたいと思います。

 

石垣島の英雄といえば、誰が思いつくでしょうか。

 

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やはり、具志堅用高でしょうか。ボクシングで13回連続防衛記録を持つ石垣島を象徴する英雄です。

こちらの具志堅用高の像は石垣島の離島行きフェリーターミナルの目の前に据えられています。具志堅用高の石垣でのヒーロー具合が伝わってきました。

 

今回紹介したいのは、もう一人の石垣島の英雄。時代はかなり昔、約500年前になるのですが、名はオヤケアカハチ。漢字で書くと遠弥計赤蜂となります。石垣島の現在の大浜村を根拠とした豪族でした。

 

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オヤケアカハチをイメージした像がありまして、根拠地であった大浜村の片隅に位置します。「大浜」というバス停で降りてしばらく歩きます。石垣空港からバスで一本なので、比較的訪れやすいとは思います。

 

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500年前の英雄なので、写真が残っているわけでもなく、正確なオヤケアカハチの風貌は分かりません。ですのでこの像はあくまでイメージです。巨大な身体。赤い髪。獰猛そうで、日本人離れした風体。しかしこの像を眺めていると、こんな感じの人だったのではないかという気がします。

 

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石垣島を含む八重山諸島は、かつては豪族たちが治める独立した島々だったのですが、沖縄本島で成立した琉球王府の勢力圏に次第に取り込まれるようになってきました。つまり大きな税を納める義務を課されたのです。

 

オヤケアカハチは琉球王府の圧迫に不満を持ち、琉球王府から離反して税を納めず八重山の独立を取り戻そうとしました。

琉球王府は当然離反を認めず、三千を超える大軍を八重山に送り込みました。オヤケアカハチが現地で軍を組織し、中山に対抗しようとしました。しかし琉球王府軍にはかなわず敗走し、オヤケアカハチも討ち取られたといいます。

 

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オヤケアカハチの乱以降、琉球王府の八重山支配は以前よりも強まり、隷属を強める結果を生み出しました。しかし八重山の独立を勝ち取ろうとしたオヤケアカハチの意気込みは石垣島の人々の間で語り継がれ、今でも石垣島で知らぬ人はないほどの英雄扱いをされているのです。八重山地方は今でも沖縄本島とは異なる文化圏になっていますが、八重山の人々の心の琴線に触れるものがあるのでしょう。

 

 

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オヤケアカハチは石垣島の英雄ではありますが、実は近隣の波照間島出身で、波照間島の集落には、アカハチ生誕の地の碑があります。波照間島を訪れた際には、ぜひ探してみてください。

 

オヤケアカハチについてさらに詳しく知りたい方は、こちらのサイトを参照にされると良いかと思います。

http://jaima.net/modules/readings/index.php?content_id=26

 

離島ナビ

http://ritou-navi.com


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