28年間就航のかめりあ丸引退!!そして橘丸新たに就航!!
こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、離島を繋ぐ船、フェリーについて扱ってみたいと思います。
◾️28年間働いたかめりあ丸
「かめりあ丸」 この船の名前を知っていますか?
こちらが、かめりあ丸。真っ白なボディが映える、なかなか美しい船です。伊豆諸島において、長らく旅客輸送に使われていたフェリーでした。「でした」というのは、約1年前にかめりあ丸は航路から引退したからです。
◾️神津島で偶然出くわした「最終航海」
28年間もの長い間働きましたが、ようやく仕事を終えました。実は私、偶然かめりあ丸の最終航海日に遭遇してしまったのです。狙って乗った訳ではなく、本当にたまたまの話です。
神津(こうづ)島という離島に島旅をしたのですが、帰りのフェリーに乗るために港にいったところ、何だか様子がいつもとは違う。
なぜか白い服を着た「船長(?)」が港にいるのでした。フェリーにはよく乗りますが、船長が港に降り立った姿は一度も見たことがありませんでした。一体何が起きているのやら。
そしていつしか、港には大勢の人が集まってきました。神津島に暮らす人々です。そして、神津島村の村長の挨拶が始まりました。
村長の挨拶を聞きながら、ようやく合点が行きました。「28年間、ありがとうございました」という垂れ幕はそういうことだったのかと。その日は何と、かめりあ丸の最終航海日だったのでした。事前には全然知らなかったです。
村長の話が終わると、船長たちには花束が手渡されました。その光景を見ていると、何だか私まで感動してきました。
◾️各島での、かめりま丸へのお別れセレモニー
そしてやがて船は港を出ました。かめりあ丸は、帰りは始点の島の神津島を出ると、式根島→新島→利島→伊豆大島→東京、と進路を進むのですが、次の式根島でも、驚きの光景が待っていました。
島に人々が大勢集まって、子供たちは太鼓を打ち鳴らしています。かめりあ丸に別れを惜しんでいるのでした。それにしても盛大です。これはもしかすると、一島一島、別れの儀式があるのかと思いきや、まさにそうでした。
新島です。赤い服を着た人たちが太鼓を叩いています。そして島に暮らす人々は写真を撮っています。普段はそこまで賑わいのない港も、今日は特別にとても賑わっています。
次の島は、利島。とても小さな島ですが、別れの儀式は大きな島にも負けていませんでした。「ありがとう カメリア丸」と垂れ幕も用意されています。非常に美しい光景ですね。
そして最後は伊豆大島。ここでも太鼓を打ち鳴らしている人たちがいました。
伊豆大島の人たちは、実に太鼓が好きなんだろうなあということを、思い知りました。
◾️垂れ幕まで用意されていた!
伊豆大島を離れると、船は東京の竹芝港へと向かいます。かめりあ丸の最終航海は、こうして終わりに近づいてきました。
ふと気がつけば、船の甲板にも垂れ幕がかかっていました。
このような、手書きのコメントが数多く書かれた布がたくさん貼ってあったのでした。
伊豆大島の人たちの、かめりあ丸に対する愛着が、非常に大きなものがあることが、その日の航海で肌で感じることができたのでした。そして離島と船とが、いかに密接な関係を持っているのかも、理解できたような気がしました。
かめりあ丸も、伊豆航路にて28年働けて本望であったと思います。ちなみにこの航海の終了にて即座にスクラップになる訳ではなく、インドネシアにて第二の人生を送るらしいのですよ。
今度は一体どんな名前の船になり、どんな船旅を送るのでしょうか。想像してみると面白いです。
とにかく、歴史ある船の最終航海に立ち会うことができ、一部始終を見ることができたことは、非常に幸運なことでした。
◾️かめりま丸の後継船、「橘丸」!
このかめりあ丸に代わって登場した後継の船にも、その後乗る機会がありました。
黄色いボディが特徴的な「橘(たちばな)丸」です。
昔同じ名前で、同じようなデザインの船があったらしいのですが、それの復刻版がこの船と言います。新船らしく、傷一つないピカピカの船体が美しいです!!
海の上でも非常によく目立ちます。
しかし、黄色のフェリーとは、あまり乗ったことがありません。フェリーと言えば白がベースカラーなのが相場なので、とても新しく感じます。
今日も橘丸は、まだ新しい船体を輝かせて、海を走っているのでしょうか。今後の活躍が非常に楽しみです。かめりあ丸の後を立派に働いてくれていると嬉しいです。
一体橘丸は、これから何年くらい航海を続けるのかな。かめりあ丸と同じく、28年は働くことを期待いたします。
http://www.tokaikisen.co.jp/shipinfo/largeship/;(東海汽船)