秘境!!後醍醐天皇の住った黒木御所:西ノ島(隠岐)
こんにちは。ドクターリトーです。今回の記事では、隠岐諸島の西ノ島(にしのしま)について、取り上げてみたいと思います。(西ノ島の、国賀海岸についての記事もご覧ください:http://ritou-navi.com/?p=1074)
◾️黒木御所
西ノ島には、重要な史跡があります。「黒木御所」というところです。
「御所」というと、天皇の住居、というほどの意味で京都御所が有名ですが、かつて隠岐にも御所が作られたことがありました。後醍醐天皇という、有名な天皇の御所です。
ただし、御所といっても、非常に粗末な御所でした。「黒木」というのは、皮を削っていない木材、という意味です。
つまり、黒木御所というのは、急いで作られた非常用の御所、といった感じの御所のようです。
これが、黒木御所の跡地です。西ノ島の別府港の近くの、小高い丘にあります。
秘境というべきところです。
◾️後鳥羽上皇の隠岐での日々
こんな寂れたところに天皇の御所が置かれていたなんて、少し信じられない思いなのですが、後醍醐天皇もさぞ、心細い思いをされたでしょう。夜も眠れないこともあったのではないでしょうか。
後醍醐天皇は、武家政権に対抗して建武の新政を打ち立てたことで有名ですが、それ以前に鎌倉幕府打倒計画が露見して、隠岐へと島流しになったのです。
その時に暮らしていた御所が、ここだったのですね。結局一年足らずで後醍醐天皇は隠岐から抜け出すことに成功し、そして建武の新政に至る、という流れになります。
丘からはフェリーが港に入るところも見えます。絶景ですね。
◾️隠岐島後にも伝わる御所伝説
実は隠岐島後にも後醍醐天皇が暮らしていたと言われる場所があり、どちらが本当に後醍醐天皇が住まっていたところなのか、論争があります。
(隠岐道後についてはこちらの記事をご覧ください!http://ritou-navi.com/?p=1529)
もしかすると、どちらも本当なのかと思ったりします。島前(西ノ島を含む三つの離島がある諸島地帯)と道後は、そう離れてはいないので。
http://www.pref.shimane.lg.jp/tourism/tourist/kankou/oki_shoukai/oki/syoukai.html
◾️「島前」と「島後」の由来
隠岐では、北の大きな離島を「島後」、南の三つの離島の群れを「島前」と言うのですが、これは「道前」「道後」が変化した言葉だとされています。
「道」というと、「東海道」とか「西海道」とか、国やもっと広い地域を表す時に使う言葉ですが、律令制のおいて、隠岐は昔は島ではなく一つの国、「一国」として数えられていたので、国としてのプライドが、「島前」「島後」という名称には込められているのかも知れません。
◾️流罪の島の歴史に思いを馳せる
隠岐に旅をされた時には、是非、武家に対抗して貴族中心の政治を取り戻そうとした後醍醐天皇の夢にも思いを馳せてください!!