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鉄砲完成のためにポルトガル人と結婚した若狭姫!!:種子島

こんにちは。ドクターリトーです!今回の記事では、鹿児島県は種子島(たねがしま)を扱いたいと思います。

 

◾️鉄砲の伝来した島

 

 

種子島といったら鉄砲が伝来したことで有名です。

 

1543年、ポルトガル人を乗せた中国船が、種子島に漂流しました。

船に乗っていたポルトガル人は、「鉄砲」という新しい武器を持っていたのです。

 

鉄砲が火を吹いて的を射抜くところを見て、人々はひどく驚いたと言います。

 

◾️時の領主、種子島時堯(たねがしまときたか)

 

当時種子島の領主であった、種子島時堯(たねがしまときたか)は、この新しい武器を珍しがって、2000両を出して2丁買い求めました。

一つは家宝用、もう一つは解体して研究するようでした。

 

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種子島時堯、こんな人です。若々しいですね!!

 

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この銅像は、彼の居城であった赤尾木城の城跡に設置されています。

さぞ、好奇心が強く、先見の明もある君主であったのでしょうね。

 

◾️八板金兵衛清定(やいたきんべえきよさだ)

 

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種子島は、八板金兵衛清定(やいたきんべえきよさだ)という名の島の刀鍛冶に、鉄砲の複製を命じます。

もし鉄砲をうまく開発することができたら、種子島氏の極めて強力な武器となることは、言うまでもありませんから。

解体用に買っておいた鉄砲の、役立つ時が来ました!!

ちなみに上の写真の像が、金兵衛です。

 

◾️日本にはなかった「ネジの原理」

 

金兵衛は優秀な刀鍛冶でしたので、ポルトガルの鉄砲をだいたい複製することができました。

ただ一点を除いて。

それは、ネジの原理でした。

 

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http://www.monotaro.com/p/0551/5361/

 

現代では当たり前のネジですが、当時の日本では驚くべきことにネジの技術は存在していなかったのです。

ネジがなければ、鉄砲の筒をうまくふさぐことができませんが、金兵衛にはどうしても考えが及ばなかったのです。

簡単なことほど、実は分かりにくいという、良い例かも知れません。

 

◾️若狭姫の伝説

 

さてどうするか。金兵衛は困り果てます。君主の命令ですから、遂行しない訳にはいきません。

見兼ねた金兵衛の娘、若狭姫(わかさひめが申し出ます。

「私がポルトガル人に嫁いで、技術を聞き出してきます」と。

 

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若狭姫は実際にポルトガル人と結婚して、日本を離れました。すごい!!

 

そしてポルトガル人の技師を連れて日本に帰ってきました。無事にネジの原理は伝わり、金兵衛は鉄砲を完成させることができたという次第です。

 

日本に帰ってきてからすぐに若狭姫はなくなったとされていますが、本当のところは分かりません。

 

しかし若狭姫の勇気が、日本の鉄砲誕生に貢献したことは事実でしょう。和製鉄砲の母、とでもいうべき、若狭姫です。

 

ちなみに、若狭姫は、日本で初めて(アジア系の人間以外と)国際結婚をした日本人だとされています。

 

◾️種子島鉄砲館

 

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種子島には、鉄砲館という場所があり、鉄砲の展示品を見たり、歴史を知ることができます。

建物自体が、鉄砲の形をしているという面白い建物です。

 

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色んな構造の鉄砲が置いてあります。これは一見の価値あり。

 

鉄砲館のHPです
http://www.city.nishinoomote.lg.jp/center/top.html 

 

◾️種子島に行って、鉄砲の歴史を知ろう

 

鉄砲の歴史を知ることができる種子島、是非足を運んでみてください!!

鉄砲にしても、現在の宇宙センターにしても、時代の先端に位置してきた、重要な離島です。

 

さあ、旅に出ましょう!!

ritou-navi.com

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