琉球王国のシンボル!!世界遺産・首里城、そして石畳道を散策する。
こんにちは。ドクターリトーです。
今回の記事では、沖縄本島の世界遺産のひとつ、首里城(しゅりじょう)について特集したいと思います。リトーはつい先日の沖縄旅にて首里城を訪ねてきました。
◾️首里城周辺の街並み
こちらは首里城付近の風景。
首里は琉球王国時代は王国の首都に相当する土地で、王国の政治・経済・文化の中心でした。
それだけに高貴な風情を街並みにどことなく感じました。建物も伝統的な赤瓦のものが多く、景観作りに熱心な姿勢が伝わってきます。
◾️金城町石畳道(きんじょうちょういしだたみみち)
こちらは、金城町石畳道(きんじょうちょういしだたみみち)。日本の道100選にも入っている有名な道です。
石畳道は琉球王国時代に建造された首里城へと通じる道ですが、第二次世界大戦の際アメリカ軍の侵攻によって大半が破壊されてしまいました。
しかし奇跡的に300メートルほど現存している貴重な史跡です。石畳道の左右には石垣もそびえ、非常に趣のある情景が広がります。
◾️共同井戸
石畳道の付近には、様々な遺構が存在します。
こちらは、「ガー」という不思議な名前の共同井戸。昔は実際に使用されていました。
琉球王国時代の主婦たちは、ここで井戸端会議なんかを開いたりしたのかも知れません。
◾️アカギの木
さらに首里城に近づくと、大きなアカギの木が茂るスペースがあります。とても大きな木で、見事な威容を保っています。
ここは神々と王府との交流の場所であったそうです。確かに「御嶽(うたき)」のような神聖な気配を感じました。
今でも崇拝の場所として利用されているようです。
首里城そのものも見応えがありますが、それと同じくらい首里城へと至る道を散策するのも面白いと思いました。
◾️守礼門
さて、いよいよお待ちかねの首里城が近づいてきました!
こちらは守礼門。中国からの「冊封使(琉球王を承認するための中国からの使節)」が到来した際は、国王みずから城から門まで出迎えに来た門だそうです。「礼を守る」という意味で、守礼門です。
◾️首里城
こちらが、首里城!!
テレビなどでもよく見かける姿だと思います。日本軍の司令部が置かれていたので第二次大戦で徹底的に破壊されてしまいましたが、沖縄返還後に修復がなされました。
戦争さえなければ、琉球王国関連の史跡や遺物ははるかに保存状態が良かったことでしょう。そう考えると、実に惜しいことだなーと思います。戦争なんかなければよかったのに。
「御庭(うなー)」と呼ばれる中庭。
赤白の帯模様になっているのはただのデザインという訳ではなく、王国の年間行事の際に人や物の配置をしやすくするためだそうです。
卑近な話ですが、学校の体育館の床に貼ってあるテープと用途が似ているのかも知れません。
首里城は城内も見学できます。
こちらは国王が政務などに使っていたスペース。「中山世土」という看板があります。
「中山」とは琉球王国のこと。もともと中山王国という名前だったので、そのまま使っているんです。
そして「世土」とは、治める土地という意味。つまり「ここは琉球の土地である」ということです。
こちらは王様がかぶっていた冠。かなり大きく感じるのですが、1.2倍のサイズで復元してあるそうです。
◾️冊封使の儀式のミニチュア
冊封使を迎える行事の様子を復元したミニチュアもあります。こんな感じで中国からの施設を迎えて盛大な儀式を開いていたそうです。
首里城は、外国からの観光客がとても多いように感じました。
当時諸外国と貿易をして、国際色豊かであった琉球王国にぴったりの光景かも知れません。
世界遺産首里城、沖縄旅行の際には是非立ち寄ってください。もっとも、定番だとは思いますが。
沖縄北部にある同じく世界遺産のグスク・今帰仁城跡も訪れて、比べてみるのも面白いと思います。
今帰仁城の記事はこちら!!天空の城ラピュタのようです。
→http://ritou-navi.com/2016/04/08/nakijingusuku/