小笠原諸島,  日本の果て,  伝説の島,  歴史上の人物

日本最東端・南鳥島と、幻のグランパス島の不思議な関係。

こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、日本最東端の南鳥島(みなみとりしま)及び、実在しない幻の島、つまりいわゆる「疑存島」であったグランパス島について扱いたいと思います。

 

◾️南鳥島

 

 

南鳥島。上の写真の三角形の小さな島です。正真正銘の絶海の孤島。

この島の名前は結構有名です。なぜなら、学校の地理の授業で習うからです。南鳥島は日本最東端の島。日本の東の端にあるのです。「南」鳥島ですが、最南端ではありません。

ちなみに最南端の島は、「沖ノ鳥島」。ほとんど水没していて、よく中国から島ではなく岩だとツッコまれています。

実際岩っぽいので、負けずに頑張って島と言い張りましょう。こういうのは、言葉のあやなので笑

 

 

どれくらい東のあるかというと・・・上のgoogl earthの写真の赤いポイントが、南鳥島の位置です。日本のはるか南東の方角にあって、ここが日本の領土と言われるとかなり驚かされます。サイパンとか、ミクロネシアの島々があるエリア。そして東京からは、なんと約1800キロ彼方にあります。

 

南鳥島は面積1.5平方キロ、人口約30人のとても小さな島。そして暮らしているのは自衛隊や気象関係の人ばかり。定期航路ももちろんないので一般人は訪れることができず、住むこともできない最果ての地なのです。

 

◾️グランパス島

 

話は少し変わります。百数十年前は、太平洋に「疑存島」と言われる島が結構ありました。

疑存島とは、「存」在が「疑」わしい島のこと。飛行機も人工衛星もなく、googleearthももちろんなかった時代には、「果たして本当に存在するか不明だが地図にはとりあえず載せられている島」というのが結構ありました。

特に太平洋はだだっ広いので全てのエリアを船で網羅することはできず、まだ発見されていない無人島が残されていると考えられていたのです。

鎖国が説かれて海へと自由に出ていけるようになった明治時代には、この無人島を探索する試みが多く行われました。無人島にはアホウドリが生息していたりリン鉱があったりして、見つけると一攫千金が転がり込んでくるチャンスでもあったのです。

 

日本は海に囲まれた島国の割に、欧米諸国のような7つの海を巡る「海洋冒険」的なエピソードがほとんどなくて残念なのですが、この明治初期の無人島探索に関しては日本の「大航海時代」とも呼べると思われます。夢がありますねー。

 

疑存島の一つにグランパス島というのがありました。1788年にイギリス船の船長ジョン。ミアーズが日本の南東で発見したとされています。グランパス、つまりシャチが多い島なので、グランパス島。グランパス島は実在しない島だったので現在は地図から消去されていますが、当時は存在すると思われていたのです。

位置は、小笠原の父島母島などの火山列島と南鳥島の中間地点。小笠原の沖合にあるとされていました。

このグランパス島は、実は南大東島だったとする説があります。南大東島は沖縄島の遥か東にある島で、明治時代まで全くの無人島でした。その南大東島がなぜか経度の測定ミスが起こって遥か東にあることになってしまい、それがグランパス島になったという説。私もこれが有力だと思います。

 

ちなみにグランパス島とは、こんな島であると思われていたそうな。

 

……小笠原の父島に比べてやや広い程度の無人島で、どこ国にも属さない。偶然漂着した鯨猟船が海岸を少しばかり探索したに過ぎないが、土地の豊かなことは確実であると思われる。島の周囲の砂原にはウミガメたちが群遊して大地が動くかと思われるほどの勢いで、山々にはパンの木が鬱蒼と茂り、天然の食料となっている。山の渓谷の泉は澄んでいて飲用にでき、島にある湖周辺の土地は肥沃で稲作に適している。餅が木になり、黄金が山には湧いている。開拓するには極めて好条件の島である。

 

誰も行ったことないのに、話盛りすぎ。いや、行ったことがないからこそ、どこまでも妄想の余地があったのか。マルコポーロの黄金の国、ジパング並の盛り方です。

 

 

◾️グランパス島を探索した水谷新六

 

この幻の楽園、グランパス島を探索しようと勢いたった海の男がいました。その名は水谷新六(みずたにしんろく)

水谷新六は三重県生まれ、東京で商売をしていたそうですが、小笠原に移住して雑貨商を始めたそう。そしてサイパンやトラック諸島との「南洋貿易」も始め、儲けていたそうです。

水谷新六はグランパス島の実在を信じていて、1893年頃から必死に捜索しようとしました。まさに海のロマンを体現した人物だったようです。どんな人だったか気になるなー。

1896年に何度目かの捜索に乗り出し、父島の二見港を出航しました。グランパス島があると思われていたあたりをめちゃくちゃに探し回ったのですが、結局見つからずに、帰り際に別の小さな島を見つけました。それが南鳥島(マーカス島)だったのです。

南鳥島は既に存在が知られていて、しかも完全な無人島ではなくサイパンからやってきた数人の土着の人々が暮らしていたそうです。全然幻の島でないやん、という。

 

◾️南鳥島、日本領になる。

 

結局水谷新六の探し求めたグランパス島は見つからなかったのですが、代わりといってはなんですが、南鳥島にめでたく行き着くことができました。南鳥島にアホウドリが多数生息していることを発見した水谷は一度小笠原に帰港して、労働力を確保して再度南鳥島へと向かい、アホウドリの捕獲を始めたそうです。

この一件をきっかけにして、南鳥島は日本領に編入されたのです。つまり想像上のグランパス島という幻の島を追い求めた結果、現実の南鳥島の領有が導かれたのです。面白いですねー。

南鳥島は、当初発見者の名を取った「水谷島」にするという案もあったのですが、南の鳥島(アホウドリが多くいたことから)として、南鳥島になりました。戦前はリンやグアム(鳥糞)が見つかり資源開発が盛んになり、そして太平洋戦争時には日本軍の拠点が置かれていました。

 

現在の日本の排他的経済水域(EEZ)は世界第6位の面積を誇り、海洋を多く持つ国になっています。そうなった過程では、水谷新六などの無人島探索者の活躍があったことを是非知ってほしいと思います。アホウドリを求めて一攫千金を夢見た海の男たちの活躍によって、日本の海洋は大きく広がりました。

 

 

離島ナビ

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