天草諸島の本拠地!崎津教会・富岡城址など名所たっぷりの天草下島を巡ろう。
こんにちは、ドクターリトーです。
今回の記事では、熊本県は天草諸島の天草下島(あまくさしもしま)について主に扱っていきたいと思います。
⬛️天草下島は離島じゃない
http://imagic.qee.jp/sima4/kumamoto/shimoshima.htmlnbsp;
まず天草下島は、「島」ではありますが、その実情は離島離れしています。離島「離れ」と書きましたが、決してこれは洒落ではありませんよ・・・笑
まず橋で本土と繋がっている点。正確には直接本土と下島が繋がっているわけではなく、天草上島などとパールラインと呼ばれる美しい橋を通じて繋がれています。
こちらが天草パールライン。5つの橋のうちの1つです。通過した感じでは、これはとても美しい部類です。
こちらはパールラインを通過する際に見える景色です。大矢野島と天草上島の間には「天草の松島」と呼ばれる名所があります。小島が海に散らばり、宮城の松島とよく似てることが由来。
天草下島が離島離れしているもう一つの理由は、その規模です。
下島の面積はなんと、573平方キロ(でかい!!)。そして人口は5万人を超えるようです。実際訪れた感じでも、商店も充実しており大手の電機店や娯楽施設も多く、島とは思えないほどに繁栄しておりました。
以上をもってして、天草下島は「離島」ではありません。しかし島なのでこのブログでも扱わせていただきます。
⬛️かかしのお出迎え?
下島の島内を走っていると、急に出くわしたのは、人間・・・ではなくかかしたち!
どうやら、2020年の東京オリンピックになぞらえた「かかしのオリンピック」のようです。それにしても大人数。地域おこしのかかしが使われる例は結構ありますが、規模が違います。やはり下島の人口の多さが効いているんでしょうねー。
⬛️世界遺産、崎津集落
下島といえば今もっとも注目されているのは、世界遺産登録がなされたばかりの「崎津の集落」、とりわけそのシンボル的存在である崎津教会でしょう。
2018年に世界文化遺産に登録されたばかりの「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」では、とかく長崎ばかりが注目されていますが、熊本天草にも世界遺産登録されたスポットがあります。それこそがこの崎津集落。
ステンドグラスがふんだんに使われている、美しい教会です。集落の建物の中では背が高いので、どこからでもよく目立ちます。
こちらは坂の上から眺めた教会。遠目にみた教会もまた別の味わいがあります。
崎津集落は海に直接面している集落ですが、こういった小道をみかけます。海まで出られる通路みたいなもの?
向かい側にエメラルドの海が垣間見え、秘密の通路のような趣があります。この小道は「トウヤ」と呼ばれます。
家屋が密集しているのは、平地が少ない離島の集落の大きな特徴。そういう意味では、天草下島も離島っぽい面はあるようです。
⬛️潜伏キリシタンの歴史が分かる! 資料館「みなと屋」
崎津集落の様子を実際に知るには、集落内を散策するのが一番ですが、昔の集落や潜伏キリシタンの歴史が知りたい場合はこちらの「みなと屋」へ足を運んでみましょう。
ジオラマ展示や、潜伏キリシタンの歴史解説コーナーなどが設置されています。
長年世界遺産登録を目指していたので、その下準備として資料館はとても充実しています。
⬛️神社と教会が隣り合わせ?
こちらは何の変哲もない神社ですが、特徴的なのはすぐ真横に教会が設けられていること(写真左側の建物です)。
教会と言われなければ、そう思われないほどの目立たない建物ですが、確かに教会です。正確には「旧崎津教会跡」もともと教会があったところだとか。今の海際に移転する前の事です。
もともと神社があった横に、明治の解禁後に教会が出来ました。宗教が違うからといって神社側から抗議もなかったそう。複数の宗教が共存しているという意味では、いかにも崎津らしい、そして日本らしい風景と言えるかも知れません。そしてなんだか面白いです。
⬛️ロザリオ館
少しばかり前述しましたが、天草諸島には資料館が数多くあります。私はその理由は世界遺産登録を長年目指していたことが大きな理由だと推測しています。
こちらは「天草ロザリオ館」。崎津集落からほど近いところにあり、潜伏キリシタン関連の資料などを数多く見ることができます。ちなみにキリシタンがよく首から下げている十字架がついたアクセサリを「ロザリオ」と呼びます。
⬛️妙見浦(みょうけんうら)
こちらの美しい海と岩山が織りなすスポットは、下島の西側にあります。「妙見浦」と呼ばれるスポットだそうです。潜伏キリシタン関連資産だけでなく、絶景にも恵まれている、本当に見所の多い島ですね!
⬛️富岡城址
江戸時代を通じて、天草支配の本拠地であった「富岡城址」。
お城は砂州で繋がった小島の山頂に作ってあります。地理的な用語では「トンボロ(陸繋砂州)」と呼ばれる地形でしょうか。函館とか江ノ島と同じです。お城は復元で、現在は資料館としての役割を果たしているようです。
⬛️鈴木さま
富岡城に入ると最初に見かける肖像は、こちらの「鈴木重成」の像。
鈴木重成とは、江戸時代の天草の代官です。
天草はもともと大名の所領だったのですが、有名な「天草・島原の乱」でキリシタンたちが蜂起して破滅して以来、荒れ放題になっていました。それを立て直すために幕府直轄の天領となった天草に派遣されたのが鈴木重成です。
重成は、荒廃した天草を立て直すために幕府に「石高の半減」を願い出ます。実質以上に多く見積もられていた天草の石高が農民たちを苦しめられていたからでした。しかし幕府は聞き入れなかったので、重成はついに切腹して願いを聞き入れられようとします。
重成の覚悟に恐れ入った幕府は、ついに天草の石高を半減させることにしました。いや・・・今の政治家には逆立ちしても真似できないだろう立派な振る舞い方ですね・・笑
そこまで天草の住民のことを思い自害して果てた重成は、やがて「鈴木さま」として島民の信仰対象となります。
上の石碑群は「鈴木さま」です。屋根の部分が両側が突起状になっていて特徴。これは江戸時代の代官が被っていた代官帽をモチーフにしたものだそう。つまり重成を表しているそうです。島民たちの「重成愛」が伝わってくるようです。
⬛️天草キリシタン館
こちらは下島の中心地である本渡町にある「天草キリシタン館」。おそらく天草で一番潜伏キリシタンについて詳しく知ることができる資料館です。
天草四郎の像ももちろん。四郎の像は海を挟んで対岸の原城にもありましたが、それぞれ少しずつ違っているようです。本渡の街並も一望できます。
天草の中心だけあってかなりの都会。
館内では「天草・島原の乱」について時系列で詳しく解説されています。歴史好きは必見。他にもまだまだ魅力いっぱいの下島ですので、是非とも訪問してご自身で散策してみてください。