瀬戸内海・豊後水道の島,  橋で繋がる島,  島と災害・病,  歴史上の人物,  信仰・伝説・お祭り

ハンセン病の歴史が残る備前長島。愛生園を訪問しました。

 

こんにちは、ご無沙汰しております。今回の記事では、瀬戸内海はその名も瀬戸内市の長島(ながしま)について。

長島はそこまで有名な島ではないかも知れませんが、ハンセン病隔離の歴史が色濃く残る島なので、しっかりと記事化できたら良いなと思います。

 

■架橋自体に大いに意義がある!長島大橋を渡って島に入る

 

 

長島は離島ではなく、本土と架橋された島です。一見何の変哲もない橋に見えますが、この橋自体が大変意義深い橋です。「人権の橋」とも言われる長島大橋

長島は有名なハンセン病隔離施設がある島ですが、ハンセン病は伝染すると思われていたために、患者は孤島に隔離される事になりました。隔離される訳ですから、もちろん孤島に押し込める事になり橋を架けるなんて思いも寄りませんでした。

 

長く続いたハンセン病の偏見が随分と解け、架橋が実現したのは1988年の事。長島愛生園が開園したのが1930年の事なので、50年以上の年月が経過しています。長島と本土を隔てる海は僅かですが、心理的距離はいかに深かったかという事がしのばれます。

 

■長島愛生園へ

 

 

その偉大な橋を渡って、いよいよ長島へ入ります。長島愛生園の見学です。コロナ感染対策のため、関係者、見学者以外は立ち入り遠慮ということ。とりあえず見学者ということで、入島資格はあるものとさせていただきました・・・苦笑 それにつけても、少し抵抗はありますが。

 

 

車で見て回りましたが、こんな島内風景。見た所は、普通の島という感じで、異様な雰囲気などはありません。長閑な所です。季節柄、紅葉が美しい。

 

 

こちらが長島愛生園の本館。外壁を蔦が茂っているのがどこか甲子園のよう。蔦が建物に味わいを出している感じがします。

 

 

それでは張り切って、入館していきます。

 

 

館内では、映像や書物、当時の生活風景など、数多くの資料が展示されていて大変興味深いです。

患者の方は、和歌などに興じられたり、また音楽会を催したりして、文化的な生活を営まれていたそうです。

 

 

ミニチュア版のかつての島内風景。狭い島に建物が密集しております。

 

 

コロナと関連付けられて、展示が行われていました。コロナにおいてもデマの流布などで多くの被害が起こりましたが、ハンセン病も全く同様。身につまされます。私達は、長島愛生園の経験からもっと学ぶ事が多いのではないでしょうか。

 

■教会

 

 

島内には教会など、宗教施設も多数設けられています。患者たちを癒す心の空間です。私にとっても教会は心の拠り所なので、長島にこそ教会が必要である事は痛感いたします。写真は「カトリックロザリオ教会」

 

■収容桟橋

 

 

入所者たちが、長島に来島する時に使った桟橋。

 

 

実物を眺めると、かつての歴史について実感が湧いてきます。どのような心持で長島に渡ってこられたのかなとか。寂しさと絶望感に苛まれたのかなとか。

 

■是非とも長島で哀しみの歴史に触れて欲しいです。

 

 

僅かな滞在になりましたが、意義深い橋を再び抜けて、島外へ。

橋を出ても、島で感じたやるせなさというか、やりきれなさは消える事はありませんでした。ハンセン病差別の歴史が数多くの犠牲者を生んだ歴史を忘れず、私自身もしっかりと生きていけたら良いな、と心に刻みたいと思いました。

一風変わった島ですが、これも一つの島旅。離島にはできれば世間から遠ざけたかったり不都合な物を遠ざける機能もあります。長島を訪れる際には、厳かな気持ちで是非とも行っていただきたいものだなと思いました。

 

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