「戦艦陸奥」が沈んだ周防大島。陸奥記念館の遺品を眺めて思いを馳せよう!!
こんにちは、ドクターリトーです。
今回の記事では、瀬戸内海は山口県、周防大島(すおうおおしま)について取り上げたいと思います。
◾️周防大島
http://blogs.yahoo.co.jp/shibagontatetsuya0119/52396309.html
周防大島は、別の名を屋代島(やしろじま)とも言います。
また現地では単に「大島」と呼んだりするようです(本当に大島という名前は、全国に何島あるのでしょうね)。
周防大島は西部に橋が現在は架けられていて、山口本土と繋がれています。
だから完全に、「離島」という訳ではありません。
またかなり大きな離島で、瀬戸内海では淡路島、小豆島に次いで、三番目の大きさです。人口は約二万人もいます。
◾️戦艦陸奥が沈んだ海
周防大島の東の隅には、「陸奥記念館」という記念館があります。
これは、周防大島の沖で謎の沈没事故を起こした、戦艦陸奥の遺品を展示している記念館なのです。
戦艦陸奥は、1943年の6月8日に、突然謎の沈没を遂げました。
理由は、現在でも解明されていません。外国のスパイ説や、粗雑に扱われていた水兵の仕返しであるとか言われていますが、詳しいことは分かっていないようです。
当時の最先端の技術を盛り込んで造られた戦艦陸奥が、外洋へと出ることもなく、瀬戸内海で沈没したことは非常に残念なことだと思います。 死者も1000人以上に及んだようです。
http://matome.naver.jp/odai/2142657994752265701
赤いバツ印が沈没地点。本当に周防大島のすぐ沖で沈んだのですね。
◾️周防大島へのアクセス
周防大島へのアクセス方法としては、山口から橋を渡って入る方法もありますが、松山の三津港というところから、フェリーが出ています。
私はこのルートで島に入りました。瀬戸内海の多島海を渡って入るので、爽快です。やはり島旅は、海を通っていくのが良いような気がします。
◾️陸奥記念館
フェリーが着いた港からそう遠くない位置に、陸奥記念館はあります。
◾️引き上げられた遺品
船員たちの遺品です。こんなことを言うと不謹慎なのですが、長らく海の中に放置されていたことで、不思議なアンティーク感を醸し出しています。
海の時間の流れが染み込んだ、魅力のあるアート作品のようです。
海が作ったアート。
戦艦陸奥は、戦後1947年に一度海中からの引き揚げが試みられたのですが、一度断念されました。
1970年に、遺族の意向もあって再度引き揚げが行われ、艦体の70%が引き揚げられました。
◾️今でも利用されている「陸奥鉄」
意外なことに、戦艦陸奥の製造に使われた鉄は、「陸奥鉄」と呼ばれ、現在でも重宝されています。
それには理由があり、陸奥鉄は普通の鉄とは異なり、放射能物質を一切含んでいないのです。
普通の製造過程で造られた鉄は、微量の放射性物質を含んでいるらしいのでとても珍しい鉄なのです。どうやら戦前に作られていることが理由らしいです。
そして2011年の東日本大震災後に、なんと陸奥鉄は絶好の活躍の機会を得ました!!
魚が含んでいる放射性物質の量を正確に測定するための機械を作るためです。理由はもちろん、陸奥鉄が放射性物質を含んでいないからです。放射性物質を含まない陸奥鉄は、放射性物質の量を正確に測るのに適していました。
戦艦陸奥は、現在において想定外の新しい役割は得ました。戦前と戦後の日本を繋ぐ、奇跡の船。それが戦艦陸奥なのかも知れません。
http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2013/08/0815.html (「陸奥鉄」についての詳しい記事です)
周防大島へ行った際は、是非「陸奥記念館」に足を運んでみてください。