国宝、甲冑の宝庫!!日本の守護神、大山祇神社:大三島
こんにちは! ドクターリトーです。
今回の記事では、瀬戸内海は愛媛県、大三島(おおみしま)について扱いたいと思います。
◾️大三島
大三島は、愛媛の今治と広島の尾道を結ぶ「しまなみ街道」が貫く島です。
愛媛側からしまなみ街道を通るとすると、三つ目の島ですね。
http://www.home-tv.co.jp/umi/25/index.html
地図で見ると、上のようになります。ちょうど四国と中国の中間地点あたりに浮かんでいます。
「大三島」というだけあって面積も大きく、愛媛県では最大の面積を持つ離島で、瀬戸内海全体の離島の中でも5番目の面積を持っています。
◾️海の日本総鎮守、大山祇神社
今回の記事では、大三島の一番の名所である大山祇(おおやまづみ)神社について書いてみたいと思います。
大山祇神社。
全国的にはあまり知名度は高くないので、ご存知ない方が多いかも知れません。しかしこの神社は非常に重要な神社なのです。
なんと「日本総鎮守(そうちんじゅ)」の称号を持っています。
「日本の守護する最大の神社」という意味です。日本の中心であると言っても良いくらいの神社なのですね。
◾️瀬戸内海の要衝だった大三島
なぜ本土ではなく、離島にある大山祇神社がそこまで重要な地位を与えらえているのかというと、大三島は歴史的に瀬戸内海の重要なポイントであり続けたからです。
かつて瀬戸内海は、アジア諸国と日本の難波、京をつなぐ、偉大な海の大動脈でした。
大三島は瀬戸内海のほぼ中心に位置し、海の交通の要として、重要な場所だったのですね(ちなみにあの有名な村上水軍が拠点としたのも、このあたりの海域です)。
大三島は、海の守護神としても崇敬を集め、源氏や平氏など、武家からの信仰は特に厚いものでした。
近代でも多くの人が参拝し、初代内閣総理大臣である伊藤博文も参拝した記録が残っています。
太平洋戦争で総司令官として活躍した山本五十六も、やはり参拝したとか。現在でも、海上自衛隊の関係者など、海に関わる人々の参拝は絶えないと言います。
http://www.geocities.co.jp/Outdoors/7911/simanami/simanamimap.html
大山祇神社は、大三島のほぼ中部、少し西側にあります。
◾️大三島へのアクセス
ちなみに私が大山祇神社を訪れた時は、船で大三島へと向かいました。
しまなみ街道を自転車を借りて走っても行けるのですが、船で行った方が楽ですからね・・・笑
しまなみ街道の中で最長の橋である、来島海峡大橋の下を通過します。
大山祇神社の入り口です。入り口の段階で、何だか格式を感じます。
◾️樹齢2600年のクスノキ!!
境内に入ると、こんなに立派な楠が出迎えてくれます。この楠は樹齢2600年程と言われています。
もし本当にそうであったら、紀元前から生えていたことになります。
西暦0年には、既に樹齢600年。凄すぎます・・・笑
◾️全国国宝武具の8割を収蔵する、奇跡の神社
この大山祇神社には、大きな特徴があり、それはこの神社には、多くの甲冑、国宝が奉納されているということです。
なんと、全国の国宝級武具の八割を所蔵しているというから、驚きです。
瀬戸内海の一つの島に、日本の国宝級武具の大半が収められているのですね。
神社の中の、「宝物館」というところに武具は収められています。
◾️抜き身の太刀も多数収蔵
光を受けて白刃輝く剣が、収められています。近くで見ると、オーラを感じました。
本物だけが持つ輝きです・・・・。私に鑑識眼はないですが。
◾️なぜかセキュリティーは緩そう・・・
鎧もショーケースの中に収められています。
国宝級の甲冑が、当然のようにずらずらと並べられています。ここでは珍しくないということでしょう。
セキュリティしっかりしてるのかな、と少々心配になりました(結構ゆるそうでした)。
◾️源義経の甲冑
これが、源義経が実際に身につけていたという、鎧です。
花柄で、可憐さを漂わせる鎧です。本当に美しいのですよ、近くで見ると、これが。
あの時代の武士というのは、甲冑とか兜に大変凝っていたのだなあということが、しのばれます。
その他、境内には海事博物館もあり、海洋生物の標本がたくさん置いてあったりします。実は昭和天皇の海洋生物研究に使われた「葉山丸」を永久展示するために作られたのがこの博物館です。
昭和天皇は、海の生物がお好きで海洋生物学者としても知られる、本当にユニークな方です。
大山祇神社、色々な面で楽しめます!
しまなみ街道に遊びに来られた際、また大三島に島旅をする際には是非、大山祇神社へも足を運んでくださいませ。