塩飽水軍の本拠地、塩飽勤番所の島:塩飽本島
こんにちは。ドクターリトーです!!
今回の記事では、瀬戸内海は、香川県の塩飽本島(しわくほんじま)について、取り上げたいと思います。
塩飽本島、瀬戸内海の離島でも、際立って歴史の深さを感じる離島ですよ。
◾️塩飽本島
塩飽本島があるのは、香川県の西部です。
そして、香川県と岡山県をつなぐ、瀬戸大橋のすぐ西ですね。
このあたりに浮かぶ島々をまとめて、塩飽諸島(しわくしょとう)と言います。
そして塩飽諸島の「本島」だから、塩飽本島。現地の人は、単に「本島」と呼びます。
本島は、塩飽諸島の中心的な島です。昔この海域を治めていた塩飽水軍の本拠地がありました。
http://setouchia8.ashita-sanuki.jp/c7463_7.html
ご覧のように、長方形の形をしています。
◾️塩飽本島へのアクセス
本島に行くには、丸亀(まるがめ)港から、船に乗ります。
ほんじま丸に乗ると、魅力的な多島海の瀬戸内海が目の前に広がります。
これが本島の港です。白い灯台が目立っています。この本島、現在は人口600人。それなりに人口の多い離島です。
本島をめぐるには、自転車を使うのが便利です。さあ、レンタサイクルを借りて、本島観光に乗り出しましょう!!
◾️塩飽勤番所
「塩飽勤番所」です。ここが、この離島の一番のスポットです。
江戸時代、塩飽水軍が治めていたこのあたりは、例外的に自治を認められていました。そして塩飽諸島を治めるための、政治の中心が、この勤番所であったのです。
◾️「 人名」と呼ばれた塩飽の水軍衆
塩飽水軍は戦国時代から、塩飽の海域を取り仕切る水軍として、独自の勢力として活躍してきました。
瀬戸内海の水軍というと、とかくしまなみ海道のあたりで活躍した村上水軍が注目を浴びがちですが、塩飽水軍も同じように活躍していたのです。
江戸時代に入ると、塩飽水軍は、家康から同じように自治を認められます。塩飽諸島は塩飽水軍の所領と引き続き認められました。
これは珍しいことで、塩飽諸島は幕府の天領でもないのに、大名の支配を一切受けなかったのです。塩飽の水軍衆は、大名にならって「人名(にんみょう)」と名乗りました。
がっしりとした造りの、素敵な建物ですね。歴史を感じます。
現在は、塩飽本島の歴史資料館のような役割も果たしており、一般公開されています。
写真は、勝海舟がアメリカに渡るのに使った「威臨丸」の模型です。
他にも、幕府から受け取った書状など、見るべきものはたくさんありますよ!!
◾️笠井の街並み
これは、塩飽勤番所から少し離れたところにある、笠井(かさい)の街並みです。
江戸時代の街並みがほぼそのまま残っている、珍しい集落です。
本島に・・・いや本当にいいところだなあと思います。
やはり離島だからこそ、この美しい街並みを保存できたのでしょう。
◾️猫の島でもある
猫も飛び出してきました。平和なところです。
◾️塩飽水軍のお墓
ここは、少し山側に入ったところ。
塩飽水軍の重役たちのお墓です。立派な造りで、光も差し込み、心地よいところです。
やはり、本島の一良さの一つは、この秘境感ですね。
かつては塩飽の中心として賑わったはずの本島も、近年では過疎が進んで、人の姿もまばらです。
しかしこれはこれで、静かな魅力があります。
◾️島から眺める瀬戸大橋は美しい
浜に出てみると、目の前には美しい橋が見えます。瀬戸大橋です。
本島からすぐ近くに瀬戸大橋はあるので、どこからでも見えます。
人もあまりいないので、海辺に座り込んでぼうっとしていると、なんとも言えない至福感に包まれますよ。
大きなタンカーが通りすぎます。鮮やかな海と、瀬戸大橋と、船。絶景ですね!!
◾️是非訪れてみてほしい島
瀬戸内海の、おだやかな魅力をたっぷりと味わえる本島!!
私は、瀬戸内海のまったりとした良さを味わえる秘島は、本島以上の島はないと思います。
ここは、必ず行ってみるべき島です!!