奄美群島,  歴史上の人物

沖永良部島に流罪になった西郷隆盛 〜「敬天愛人」発祥の島〜

こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、沖永良部島(おきのえらぶじま)と西郷隆盛(さいごうたかもり)の深いつながりについて取り上げたいと思います。

【沖永良部島情報】

《アクセス》那覇港、もしくは鹿児島港からフェリー。もしくは、那覇空港、鹿児島空港から飛行機。アクセスが意外と大変な離島だったりします。

《宿泊》民宿、ホテルなど多数あり。個人的には、「スリー・ハピネス」(素泊まり)が感じが良くて好きです。

《食事》食堂のみならず、スーパー・コンビニ(24h)もあるので、困ることはないでしょう。

 

◾️西郷隆盛の島

 

西郷隆盛。

 

言わずと知れた英雄です。幕末の薩摩藩で活躍し、そして明治維新に大きく貢献した維新の立役者の一人です。

 

しかし、西郷隆盛は初めから偉大な人物であった訳ではありません。そこまでのひとかどの人物となるためには、多くの苦難と修行を経なければなりませんでした。

 

その一つが、鹿児島県・沖永良部島への流罪です。

 

西郷隆盛は、島津斉彬(しまづなりあきら)という藩主に才を見出され、藩内で活躍していたのですが、斉彬は突然急死。

 

次の藩主は、久光(ひさみつ)という人でしたが、西郷とは全く馬が合わず、やがて久光の逆鱗に触れた西郷は、薩摩藩の属領であった沖永良部島へと、犯罪人として流刑に処されます。

 

◾️西郷隆盛上陸地

 

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こちらは、西郷隆盛が島に上陸した場所に建てられている、記念碑です。

この記念碑に限らず、この沖永良部島には、西郷にまつわる史跡がかなり多いですよ。

 

◾️やせ衰えた西郷隆盛

 

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西郷隆盛は沖永良部島で、野ざらしの小さな牢に押し込められました。写真は、沖永良部島に実際に復元されている牢獄の様子です。

 

住環境は悪く、食事も満足に取らなかった西郷は、どんどんやせ衰えていきました。西郷隆盛って一般的に太っているイメージがあるのですが、当時は辛苦がたたってこのようなガリガリの風貌になってしまったようです。島での苦労が伝わってきます。

 

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こちらも沖永良部島にある像ですが、この方の太っている方が普通の西郷のイメージですね。犬も連れていますし。

 

東京上野にある西郷像とよく似ています。牢屋の像と比較すると、まさしく劇的ビフォーアフターのようです(?)

 

◾️島民たちとのふれあい

 

西郷がどんどん痩せていく様子を見かねた島民がご馳走を用意したり、座敷の中に牢を移築して雨風をしのげるようにしたと言います。沖永良部島の島民の暖かさが伝わってくるエピソードです。

 

西郷隆盛は、沖永良部島に結局1年7ヶ月ほど滞在しました。

 

その後藩主久光に赦免されて、再び薩摩本土へと帰還します。

 

西郷は滞在中、島民たちに世話になったお返しとして、島の若者に聖賢の道について教えたり、飢餓の時のために、豊作時に穀物を高倉に保存しておき、凶作時に皆に支給する「社倉法」なども伝授し、島民の尊敬を集めたと言いいます。

 

沖永良部島で西郷が未だに尊敬されているのは、この島民との暖かい交流が要因だそうな。

 

西郷って島ですごい尊敬されてるんですよ、本当に。

 

◾️敬天愛人の思想

 

 

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そして、西郷隆盛が厳しい牢獄生活での体験を元に、沖永良部島で体得することになったのが、「敬天愛人」の思想だとされています。

 

敬天愛人・・・天を敬い、人を愛する、ということです。

 

おそらく西郷は、牢獄での生活ですら天から与えられた試練として受け取ったのではないでしょうか。天命という考え方を、牢獄の中で過ごした静かな時間に悟ったのでしょう。

 

この「敬天愛人」というのは、沖永良部島の教育にも取り入れられているそうです。それくらい西郷という人は身近な存在なんです。

 

そして沖永良部島から薩摩に帰ってから、西郷隆盛の活躍が始まるのです。明治維新へと突っ走っていきます。沖永良部島での生活が、西郷にとっての重要なターニングポイントになったことは間違いないように思われます。

 

◾️鹿児島とも沖縄ともつながりの深い沖永良部島

 

沖永良部島には、「世の主(よのぬし)伝説」という伝説もあり、こちらは琉球とのつながりを示す伝説です。

世の主伝説については、こちらの記事を御覧ください→http://ritou-navi.com/?p=28

 

薩摩とも、琉球とも、歴史的人物を介してつながりのある沖永良部島。

沖永良部島こそ、沖縄と鹿児島の間にあってどちらの文化も合わせもつハイブリッドの離島、架け橋の離島と言えるのではないでしょうか。

 

そして地理的に中間地点であることが、沖永良部のみならず奄美諸島全体の持つ特色であると思います。

 

さあ、島旅に出ましょう!!

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