昔は本当に「離島」だった!?京都伏見・中書島の謎に迫る。
こんにちは、ドクターリトーです。
今回の記事では、京都市の伏見区の一部、中書島(ちゅうしょじま)について、扱ってみたいと思います。
◾️中書島
私は京阪地区に暮らしていまして、京都と大阪をつなぐ京阪電車を日常的に利用しています。京阪電車に中書島という駅があるので、身近な土地です。
こんな駅ですね。建て替えられて間もなく、非常に美しいです。
「中書島」という地名について、つきつめて考えることもなかったのですが、「島」が入っているなあと、何となく思っていました。しかしなぜ「島」なのか、由来がよく分かっていませんでした。
こちらが現在の中書島周辺の地図です。
地図で確認すると、中書島、確かに周囲を堀、そして宇治川で囲まれていて、まるで島のようになっています。
なるほど、これが中書島の由来だったのか!と納得しました。たとえ幅の狭い堀だったとしても、確かに周囲が水で囲まれているという、島の定義を満たしています。
しかし、先日、驚くべきことを私は知りました。中書島、昔は本当に離れ島だったらしいのです。
◾️中書島は昔は「離島」だった?
http://comox.co.jp/~ushisan/pages/history.pages/choumei.pages/chusyojima.html
こちらが、1700年ごろ、今から約300年前の中書島界隈の地図です。手前にある島が、中書島とのこと。
どこからどうみても、離島ではないですか!! おまけに長い立派な橋まで架かっています。こんなに広い川が、昔はこのあたりには存在したらしいです。
これで判明しました。中書島は昔は本当に島だった。それが埋め立てられて現在の地形に変わった。しかし周囲には堀が巡らされ、昔の面影をわずかに止めている。
詳しくは、このHPを参照ください
→http://comox.co.jp/~ushisan/pages/history.pages/choumei.pages/chusyojima.html(伏見の歴史)
◾️中書島の由来
ちなみに「中書」の由来ですが、これは昔の官職の名称であるようです。
この島には、安土桃山時代に「朝散太夫中書少郷脇坂淡路守」という人のお宅があり、この人は「中書」という官職に就いていました。
「中書さんが住まう島」なので、「中書島」という名前が定着したらしいです。実はかなり分かりやすい地名だったのですね。
この中書島の周辺、伏見の中心地にあたり、観光名所も多いです。
◾️付近には坂本龍馬の寺田屋も
坂本龍馬ゆかりの寺田屋。
京都伏見といえば、お酒が有名ですが、酒造工場も多くあります。
堀の周辺には、美しい風景が広がります。観光船に乗って堀を巡るツアーもあるようです。
魅力のある土地なので、是非中書島を訪れてみてください。また訪れたら、「かつてここは本当に離島だったんだなあ」と、在りし日の中書島に想いを馳せてみてほしいと思います。
◾️地名について調べると面白いかも?
皆様のお住まいの近くの「島」という地名がある土地。現在は島ではなくても、調べてみたら、もしかすると島に関係があったりするかも知れません。地名というのは、面白いですね。またそれくらい、地形というのは変わりやすいということでしょう。