「五島崩れ」悲しみの牢屋跡。旧五輪教会:世界遺産を目指す五島列島・久賀島!
こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、五島列島の久賀島(ひさかしま)について扱いたいと思います。
【久賀島情報】
《アクセス》福江島からフェリー、またはジェットフォイル。直接本土から久賀島に入るルートはありません。
《宿泊》旅館と民宿が一軒づつのみ。宿泊施設は少ないです。
《食事》食堂などはないので、用意した方が良さそう。
◾️世界遺産を目指す五島列島
五島列島と言えば教会が有名ですが、キリスト教が現在でも盛んな地域です。
なぜかというと九州本土(主に長崎)で迫害を受けたキリスト教徒たちが、「隠れキリシタン」として数多く移住したのが五島列島だからです。
そういう訳で五島列島は隠れキリシタンたちの島だったので、江戸幕府の時代が終わり時代が明治になって宗教の自由が保証されると、五島列島には教会がたくさん建立されました。
教会をはじめ、キリスト教関連の史跡が多いので、五島列島はなんと「世界遺産登録」を目指して奮闘しています!
久賀島にもこんな垂れ幕が掲げられていました。
もう世界遺産になったのか?と驚いたのですが・・・世界遺産「推薦」決定でした・・・笑
しかし、世界遺産登録への熱い思いがひしひしと伝わってきました。
◾️久賀島へのアクセス
http://imagic.qee.jp/sima4/nagasaki/hisakajima.html
久賀島は、こんな不思議な形状です。ほぼ楕円形の中に湾が深く入り込み、まるで湖のように見えます。馬の蹄(ひづめ)に似ているなんて言い方もされます。
久賀島は、五島列島最大の島の福江島(ふくえじま)の一つ北に位置する離島です。
いわゆる「離島の中の離島」というやつで、アクセスはなかなかに大変で、一度福江島に行ってそこからフェリーか高速船に乗る必要があります。
私が乗ったのは、これです! シーガル。なかなかにコミカルな見た目の面白い高速船でした。
もともとはグラスボート(海底観光船)だったようで、船の底側はこんな感じで海の中がはっきり見えます。
高速船の他にフェリーも運行しています。
久賀島へのアクセスはこちらのHPを!→http://www.hisakajima.com/access.html
◾️久賀島上陸!
田の浦港から島に上陸するとさっそく見えてくるのは、こちらの浜脇(はまわき)カトリック教会。
港のすぐそばの丘の上にどっしりと構えています。さすがキリスト教徒の離島!と初っ端から感心してしまいました。
田の浦港からは太い道が島の内陸の方に伸びていて、その道をずっといくと湾に沿った集落へと行き着きます。
その途中で見かけたのがこの田んぼ! 季節はまだ初夏だったので、稲の背は低いです。
久賀島は、離島にしては稲作が盛んな印象でした。
離島ってあまり水田がないことが多いんです。平らな土地も少ないし、水の便もよくないことが多いので。
そしてさらに先に行くと、こちらの湾へと出ます。静まり返った、本当に湖のような湾。
久賀島は面積の大きさの割に人口が少ない(300人台)からか、集落も人気がなく実に静まり返っていました。
◾️牢屋の窄殉教記念聖堂
こちらは、「牢屋の窄(ろうやのさく)殉教記念聖堂」という、かなり変わった名前の聖堂。
五島列島のキリスト教弾圧の黒歴史を今に伝える、久賀島の名スポットです。集落を少し外れたところにあります。また丘の上にあるので、少し坂を登らなければ行き着けません。
「牢屋の笮」というのは、ここで行われたキリスト教徒に対する拷問の名称。
「五島崩れ」といって有名ですが、明治のはじめに五島列島ではキリスト教徒に対する大規模な弾圧が行われました。
少し意外な感じですが、明治政府ははじめから信教の自由を保証していたのではなく、江戸幕府からキリスト教に対する禁教政策を受け継いでいたのです。
のちに欧米諸国の批判を受けて、キリスト教弾圧を取りやめざるを得なくなったのです。
久賀島では、狭い牢獄(12 畳)の中に200人ものキリスト教徒たちが閉じ込められるという非常に酷い拷問が行われました。上の写真が、牢屋跡。今はもちろん建物は撤去されています。
畳一畳に換算すると、一畳あたり17人ですよ。
信じられますか? つまり、足が地面につかない人がいるわけで、折り重なるように狭い牢屋の中に詰め込まれ、下の人は重みで押しつぶされてしまったそうです。
もちろん排泄物もその場で垂れ流し。死者も40人程度出たそうです。なんと恐ろしい話でしょうか。
こちらが、犠牲者の碑。ご冥福をお祈りしておきましょう!
宗教の違いというだけで、人間てここまで残酷になれるんだなーという、人間の暗黒面というか、目を向けたくない事実を突きつけられる印象的なスポットです。
◾️旧五輪教会
そして久賀島のメインスポットと言えば、「旧五輪教会」。
「五輪」というても、オリンピックとは多分関係ありません・・・笑
旧五輪教会は、五島列島が世界遺産登録された際、構成史跡の一つになる予定の重要な教会なのです!
久賀島の奥地にあるので、もう車や原付では行けません。途中からは必ず徒歩です。その分、秘境感は抜群!
こんな小道を通って、旧五輪教会に向かいます。いったい先に何があるでしょうか、ワクワク。
こちらが、旧五輪教会!
瓦屋根の和風建築で、西洋教会っぽくない? しかし屋根にはちゃんと十字架が屹立しています。
こちらは入り口。ステンドグラスの窓を発見! 和風なようで、やはり教会に間違いありません。
何だか和洋折衷というか、えも言われぬ不思議な雰囲気が漂う建築です。五島列島の教会というにぴったり。
さっそく中に入ってみましょう! ・・・中はこんな感じです。
この旧五輪教会は、もともとは同じ久賀島の浜脇集落(1881年建立)に建てられていたものを、1931年にこの五輪の地に移築したものだそうです。歴史はとても古いはずなのですが、そこまで古びた感じは全体的にしません。補修がなされているのでしょう。
お決まりの聖母像もありました! 日本にいながらにして、西洋のどこかの国に瞬間移動してしまったかのような、そんな印象を受けました。
五島列島は、日本の中の異国というか、西洋ナイズされてる感がすごいです。
もしキリスト教を禁教しなかったら、鎖国しなかったら、日本全国がもしかするとこんな感じになっていたのでしょうか?
そんなことも想像しました。今とは全く違う雰囲気の国になっていたことでしょう。
◾️隠れキリシタンの墓
旧五輪教会から来たのとは別の山道を少し行ってみると、やがて開けたところに出ました。
どうやら、キリスト教徒たちの墓のようです。十字架が墓に刻まれていますし、一目でそれとわかります。
しかし一方、こんな墓(?)もありました。
墓っていうか、ぱっと見では石の集まりみたいですね。花がたむけられているので、ようやくお墓だと分かる程度です。
こちらはもしかしたら、禁教が解かれる前の隠れキリシタンの墓なのでしょうか。キリスト教を公にできないから、ただの石の墓とか? 偽装目的? そんなことを思いました。
日本におけるキリスト教徒の歴史とは、すなわち弾圧の歴史と等しかったということが、しみじみ伝わってくると、そんなことを思いました。
久賀島。五島列島の中でもひときわ隠れキリシタンの歴史を感じる島だと思ったので、是非訪れてみてほしいなーと思いました。
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