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漂流物語の生まれる島・伊豆鳥島!!かつてはアホウドリの楽園でした。

こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、伊豆諸島の鳥島(とりしま)について扱いたいと思います。これはもうガチガチの無人島です。でもネタが溢れんばかりに豊富な島なので、楽しんで読んでくださいねー!!

 

◾️鳥島とはどこに?

 

そんなに有名な島でもないかも知れないので、まずは鳥島の位置から確認。

 

 

上の地図の赤三角のポイントが、鳥島の位置。東京からだいたい真南。伊豆諸島の沖合にあります。

伊豆諸島最南端の有人島は青ヶ島ですが、それよりもかなり南にあります。伊豆諸島と小笠原の中間地点というと、わかりやすいでしょうか?

鳥島は青ヶ島からも、小笠原諸島からも遠く離れていて、まさしく絶海の孤島といった感じです。

 

面積は約5平方キロ。そこまで小さくもありませんが、大きな島とも言えません。

 

 

写真を見てもこの通り。絶海の孤島感!! おまけに、なにやら煙まで吹き出して、島の上空を覆っています。

 

鳥島は活発な火山の島で、時々噴火しては大災害を引き起こしているんです。明治の1902年の噴火では入植した島民125人全員を死亡させ、戦後は1965年にも再び噴火を引き起こし、気象観測所から隊員たちが退却せざるをえなくなりました。それ以来、鳥島は全くの無人島になってしまいました。

 

◾️アホウドリの島、鳥島

 

なぜ鳥島は「鳥島」という名前になっているのか。それは、もちろんこの島には鳥がいたからです。

鳥といっても普通の鳥ではなく、アホウドリです。

 

 

鳥島はアホウドリの楽園で、かつては数百万羽も生息していたと言います。アホウドリで島が真っ白に見えるほどだったとか。

アホウドリって結構強烈なネーミングですが、アホの鳥という意味。

動作が緩慢で人が近づいても逃げることはなく、簡単に捕獲されてしまうアホな鳥だから、アホウドリ。

鳥島は絶海の孤島で無人島だったので、アホウドリたちには人に対する警戒心が全くなかったようです。人がいなかったので、アホウドリの楽園であり続けたとも言えますが。

 

 

小さく見えますが、羽を広げると二メートル近くになるかなりサイズの大きな海鳥です。

 

アホウドリの羽は装飾品や羽毛として高値で取引されるので、明治時代以降乱獲の対象となってきました。

 

そもそもそれまで全くの無人島であった鳥島に人が入植したのは、アホウドリを大量に捕獲して一攫千金を得るため。

玉置半右衛門(たまちはんえもん)という八丈島出身の有名な実業家がいまして、彼が中心になって入植を勧めました。

 

入植といっても別に農耕や牧畜を始めた訳ではなく、要は労働力を送り込んでアホウドリをひたすら殺戮しまくることでした。ひたすらアホウドリを乱獲して、羽を取り続けたのです。

 

その結果、鳥島のアホウドリはほとんど絶滅してしまいました。数百万羽もいたのが、ほとんどゼロ近くになったのです。近年の保護の努力によって、数千羽にまで回復してきているようですが、元のような鳥の楽園に戻ることはないでしょう。

 

玉置半右衛門は鳥島だけでなく南大東島なども開発しており、日本の南島開発の上で最重要とも言える人物であり、富裕になった成功者ですが、その功績の影には闇の面もあったのです。

 

前述した1902年の大噴火では、「入植」した島民125人全員が噴火の犠牲になって亡くなりました。これは当時「アホウドリの祟り」とも噂されたそうです。・・・まあ、確かにそう言われても仕方がないような乱獲ぶりでした。

 

ちなみに「南鳥島(マーカス島)」という島があって、日本の最東端として有名ですが、あの島も南の「鳥島」。つまりアホウドリの多く生息した島だったのです。やはり乱獲で消滅してしまいましたが。

 

日本の南には広大なEEZ(排他的経済水域)が設定されていますが、多くの島々が日本領になったのはアホウドリを求めた入植者たちが乗り込んでいったからでもあります。

 

日本の海が広がったのは、アホウドリの富を求めた下心によってなんですねー。別に日本の国益のために繰り出していった訳ではありません。

 

人間、欲から行動した方がやっぱりエネルギーが出るみたいです・・・笑

 

◾️漂流物語の土地、鳥島

 

無人島と言えば、伝統的に「漂流記」ものの物語が無人島を舞台にして作られてきました。

 

ロビンソン・クルーソーから、ジュールベルヌの十五少年漂流記、神秘の島など、無人島漂流をテーマにした物語は無数にあります。そして今でも手を変え品を変えて作り続けられています。

 

鳥島はそんな無人島漂流が、江戸時代の日本で実際に多く発生した島です。漁師や商船に乗っていた人々が流れ着いたのです。江戸時代に総計100名くらいも漂流したというから、信じられません。

 

 

見ての通り鳥島は周囲を断崖で隈なく囲まれた島であり、船をつけることなどできないので、乗ってきた船は大破してしまいます。

おまけに絶海の孤島なので、あたりに船などめったに通るものではありません。おまけに草木もまばらで農業などもできません。

鳥島に流れ着いた者は、こんなあまりにも過酷な環境でサバイバルをしなければならなくなるのです。

 

「ロビンソン・クルーソー」だと、農業をしたり家畜を飼ったり、人喰い人種との抗争などのドラマがあります。「神秘の島」だと、自分たちで工場を作ったり植民地を作り出したり開発の楽しみすらあります。

 

しかし鳥島での「漂流記」に存在するのは、ひたすら忍耐と孤独と絶望との闘いだったようです。

 

食べ物といったらアホウドリやちょっとした海産物だけ。島を開発することなどほぼできません。住まいを作る道具もないので、洞窟をみつけてそこにこもって暮らしました。

 

そしてただただ時が過ぎて、過ぎて、過ぎていく。・・・そしていつになっても救いの船はやってこない。

 

考えただけで恐ろしい状況に放り込まれる訳です。漂流もののロマンなどほぼなく、ただただ苦しみとの対決、毎日はそれだけ。

 

当然ながら、病死したり自殺したりした人も多数いたらしいです。・・・その方がはるかに楽だったかも知れません。

 

 

鳥島漂流を扱った本で、こんな「漂流の島」(高橋大輔)というタイトルの本があります。江戸時代の鳥島漂流について実際に鳥島をフィールドワークして調査した著者によるルポルタージュですが、読み応えが非常にあります。

これはおすすめ!! 鳥島漂流については、この本を読んでおけばだいたい分かります。

 

こんなに絶望的な状況でも、希望を捨てずに本土へと帰還することに成功した人物たちが多くいて、感動させられます。

 

印象に残ったのは、漂流者が島外脱出の目処がついて島を離れることができた際にも、次に漂流した人の助けになるように島内の水のありかなどを洞窟の壁に情報が書き記されているそうです。

過酷な状況でも人間的な愛情を忘れずに次の漂流者への思いやりを持つ。・・・よくこんな事ができるなーと感心します。

 

これぞ、日本人の心意気なのではないでしょうか?

 

鳥島の漂流はとても興味深い話で、文学のテーマにも何度も取り上げられているらしいです。私は読んでませんけど、読んでみるのもいいかも知れませんよー。

そういえばあのアメリカに渡ったジョン万次郎も、鳥島漂流者の一人です。彼の場合は半年程度でアメリカの船に救出されたので非常にラッキーでしたが、長い人だと十年以上も鳥島で暮らしたらしいです。想像を絶する話ですよねー。

 

漂流者の中でも、鳥島で12年近くを暮らし、その後無事に帰還した野村長平(のむらちょうへい)はとりわけ有名です。彼は「無人島(ぶにんのしま)」というあだ名がつき、その墓石にも刻まれたといいます。彼についてはまた改めて別の記事として取り上げてみたいなーと思います。

 

◾️戦後は気象観測所に

 

 

鳥島からアホウドリの姿が消えた後も、まだ鳥島の歴史は終了しませんでした。気象観測所が建てられ、日本の天候を予測する上で重大な役目を果たしていたのです。

 

しかし前述した通り、1965年の大噴火でそれもままならなくなりました。気象観測所の建物はそのまま残され、島に調査や研究に訪れた人々が宿舎として利用しているようです。

 

◾️無人島・鳥島は興味が尽きない島!

 

鳥島には色んなエピソードが多すぎて、なかなか全てを網羅することはできませんが、少しは伝わりましたでしょうか?

 

私は小笠原の父島を訪れた際、船で近くを通り過ぎたはずなのですが、当時は鳥島がこんなに興味深い島であるとは全然知りませんでした。やっぱり調べてみるもんですねー。

 

興味のある人は、鳥島についてどんどん調べていってくださいね。面白いですよー。

 

 

離島ナビ

http://ritou-navi.com

 

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