地方創生で有名な海士町まで、散骨島として有名なかずら島を見に行った話。
こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、隠岐諸島の一部、海士町(あまちょう)のある中ノ島(なかのしま)、及び日本唯一の散骨島であるかずら島について扱いたいと思います。
◾️七類港フェリーターミナル
海士町へ行くには、島根県松江市の七類港か、境港港からフェリー、または高速船に乗るのが一般的な乗り方。
私は時間があったので、「フェリーおき」にてゆっくりと向かうことにしました。
七類港のフェリーターミナルは、かなり巨大な垂れ幕も。特異な地形の多い隠岐諸島は、「世界ジオパーク」として認定されていたりします。日本ジオパークと呼ばれるものも別にあるですが、やはり世界と冠された方が箔がつくというか。
韓国との間で問題になっている竹島についての記載も。
竹島は隠岐の島町に所属しているので、隠岐諸島の一部として扱われているそうです。竹島は隠岐から約160キロ。近いような遠いような微妙な距離です。ウルルン島と隠岐諸島のちょうど中間に位置しているようですね。一度訪れてみたい限りですが、おそらくすぐには叶わないでしょう・・・笑
隠岐汽船の時刻表などは、こちらをご参照ください!
→https://www.oki-kisen.co.jp/timetable/
◾️海士町へ行く!
それではさっそく海士町へと出発!
さすがに冬の日本海だけあって、迫力のある佇まい。冬の日本海にはなぜ渋い雰囲気がつきまとうのか、不思議な感じです。やはり空が曇りがちなのが大きな原因なのかな。
隠岐には「島前」と「島後」の二つがあり、島前は海士町を含む、三つの島の集まり。島後は通称「島後」とそのまま呼ばれるひとかたまりの大きな島です。
本土から近いのは、名前通りに「島前」の方ですが、フェリーは島後の方にまず行き、そこから引き返してくる形で運行します。
島後へとやってきました!こちらが島後の西郷港近く。
さすがに豪雪山陰地方の離島だけあって、山が雪化粧をしています。
フェリーが島後に先に着くのは、ご覧のように町が大きく人口も多いことが理由かも知れません。
島後の人口は15000人。対して海士町の人口は2500人。島前三島を合わせても、約6000人。歴然の違いがあります。隠岐の中心地は、島後なのでしょうね。
◾️奇岩たち
隠岐諸島の特徴の一つは、奇岩が多いこと。いたるところで魅力的な奇岩たちを見つけることができます。こういうところもジオパークになっている理由でしょうか。
三つの奇岩が、背の高い方から順番に並んでいて楽しい見物です。この奇岩はさすがに有名らしく、お土産のパッケージなどにも使用されていました。
◾️海士町に到着! 地方創生の星
約四時間をかけて(長い!)、ようやく海士町へと到着しました。菱浦港というところです。
キンニャモニャ? いったいなんなんだろう。
港に着くなり、離島離れした活気を感じます。それもそのはず。海士町は地方創生で脚光を浴びている場所。
しばらく前は破綻寸前だった海士町は、学校を整備したり移住者を呼び込んだりして、今では地方創生の星となっているそうです。観光にも大変力を入れています。
詳しくはこちらの記事などご参照ください。
→https://www.huffingtonpost.jp/2013/11/07/ama_n_4232760.html
「ないものはない」
これは、海士町の島おこしのキーフレーズだそうです。
普通地域起こしをする時は、うちの町には○○があります。うちの町の自慢は××が有名ですよ! とプラスイメージを語ろうとするのが普通だと思いますが、「ないものはない」とは開き直りというか、逆路線な感じです。
この開き直り感がふてぶてしくもありますが、斬新で興味を惹きます。不思議な町ですなあ、海士町。
フェリーターミナルも居心地の良いように、素敵に整備されています。
写真コーナーなど。
プロの方が入って、かなり力を注いでいるのでしょうね。
ターミナルを一歩外に出ると、キンニャモニャ踊りの銅像が。
もうくどいくらいに、キンニャモニャで押してきますね・・・笑
気になるキンニャモニャとは、毎年夏にしゃもじを両手に持って踊るお祭りだそうです。道が人だかりでいっぱいになるのだとか。現場を一度見てみたいことですねー。
駅前には、謎の銅像も設置されていました。
「怪談」で有名な小泉八雲(ラフカディオハーン)そとその妻です。松江で暮らしていたのは有名ですが、隠岐の方にも足を延ばしていたようです。
◾️かずら島を訪れる
海士町でもう一つ有名(そこまで知られていないかも)なのは、ここには日本唯一の散骨が公的に許されている島、つまりは「散骨島」のかずら島があること。
かずら島とは、植物の蔓が繁茂していることから名付けられているそうです。もちろん立ち入りはできませんが、対岸慰霊所まで行くことはできるので徒歩で行ってみました。
対岸慰霊所に到着し、いよいよ見えてきました! 散骨島。
日本海の隠岐の海とは思えないほどに、明るいエメラルドの浅瀬が広がります。
形もぷりっとしていてどこか可愛らしい。一目でとても気に入りました。
「フェリーおき」が菱浦港を出航し、帰途に就いているのが見えます。船も頻繁にこの島の沖を通りかかるということ。
すこぶる離島好きの私としては、この世を去った後にかずら島に散骨してもらうのも良いかなと思い、下見にやってきたのでした。
日本ではかずら島以外に散骨すると、違法になるそうです。この島だけが日本で唯一の散骨島。そういう意味では大変レアな島と言えるでしょう。
離島と一体化できるなんて、素敵なことかも知れません。死後に文字通り島になることができると思ったら、それは一つの楽しみです。まあ、いつのことになるか分かりませんが。
◾️隠岐神社
隠岐を代表する神社、隠岐神社にも行ってみました。徒歩なのでそこまで歩き回れていませんが、近場を散策してみました。
※ちなみに、海士町にはレンタカーがありませんでした。車を希望する場合は、隣の西ノ島から借りてこなければならないそうです。
いかにも隠岐らしい、質実な雰囲気の神社。隠岐の神社の雰囲気は、本土のものとはだいぶ違うように見受けます。
隠岐諸島には、ここに限らず神社が非常に多いです。それもとても魅力的な神社が。
時間とお金に余裕のある方は、隠岐神社巡りなんてしてみるのも良いのではないでしょうか。とても楽しいと思います。
港でも、隠岐の神社について特集した無料パンフレットが置かれていたくらいですし。
◾️離島の本屋!?
隠岐神社から民宿まで引き返す道すがら、本屋を発見しました。
いたって普通の本屋ですが、感動しました。なぜなら離島で本屋を見かけることは滅多にないからです。(ちなみにコンビニもほとんどありません)。
特に人口が多い訳でもない海士町に本屋があるのは衝撃でした。これも海士町に活力がある証左であるかも知れません。
「隠岐絶景」という、この島ならではの書籍も置かれていました。きっと島外からの観光客も買っていくのでしょう。
離島では出版や図書館など文化的な面がおろそかになりがちですが、一軒の本屋があるだけでなんだかとても安心します。
◾️海士町の土産たち
観光に力を入れている海士町には、もちろんお土産も数多く用意されています。
やはりお土産でも、キンニャモニャ推しですねー。もうなんだか疲れてきました、その単語に。
こちらの「白浪」は隠岐に流されてきた後鳥羽上皇を慰めるために作られたお菓子だそうです。
隠岐といえば、古来島流しの場所として有名で、後鳥羽上皇もここにやってきたのでした。後鳥羽上皇は承久の乱を引き起こすも、北条氏に敗れて島流しになりました。
ちなみに後醍醐天皇も隠岐に島流しです。後醍醐天皇は島流しにもめげずに都へ帰り、建武の新政を敷いたり南北朝時代を招いたあまりにエネルギッシュな異色の天皇ですね。
こちらは町役場。
「みんなででしゃばる島づくり」と書かれています。「でしゃばる」なんて普通はマイナスイメージの言葉ですが、やはりこの明るい開き直りがこの海士町の文化なのでしょう。その勢いでなければ、海士町の今後の発展もないという事でしょう。今後の海士町の更なる発展を心より祈っております。
海士町。地方創生に関心が注がれる今、注目の離島なので是非とも足を運んでみてください!!
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