初めて地球一周した日本人の島?造船碑など歴史の深い寒風沢島を散策しよう。
こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、前回の朴島(ほおしま)に続き、同じく浦戸諸島の寒風沢島(さぶさわしま)について取り上げたいと思います。寒風沢島も歴史やエピソードが多い魅力的な離島なので、楽しみに読んでくださいね!
⬛️浦戸諸島最大の寒風沢島
寒風沢島は、浦戸諸島の島々の中では面積がもっとも大きい島。
といっても僅か1・45㎢ですが。ちなみに人口は100人。小さな離島です。寒風沢島という名前が、なんだか面白いですね。いかにも北の離島にふさわしいというか、寒そうです。
由来は「冬に寒い風が吹くこと」だそうなので、そのままです。真冬
にヒューっと寒い風が吹いていそうな感じがストレートに伝わるネーミングが素晴らしいです。
⬛️朴島から寒風沢島へと渡る
前回の記事にて、塩竈港から浦戸の島々へとフェリーが出ていると書きましたが、1日の便数も限られているので、島から島への移動をするには都合が悪い。
そこで島と島の間を繋いでいる便利なボート船が浦戸諸島では活躍しているのです。しかも無料で。電話で連絡するとそう時間を待たずに来ていただけるのでとても便利です。是非とも利用してみてください。これはとても素晴らしいサービスだと心底思いました。
⬛️震災の傷跡
寒風沢島に到着するとまず目に入るのは、こちらの白い壁。ずっと続いています。これは東日本大震災以降のこと。浦戸諸島は津波の被害を受けたので、津波防止のために防波堤を築いているのです。
島の反対側の海水浴場もこの通り。昔は普通の遊泳場だったと思いますが、今や白い壁で覆われて異様な佇まいになってしまいました。なんだか泳ぎにくそうですね。今は震災の影響で営業していないそうです。納得です。
震災が風光明媚であった島の光景をすっかりと変えてしまったことが伝わります。昔の方が景観は良かったはずなので、必要な措置とは思いつつ残念な気分になりました。
⬛️造艦の碑
寒風沢島は、江戸時代は伊達藩の江戸廻米の港として栄えていました。つまり仙台藩にとっては重要な港であったということです。
東北地方で初めて西洋式軍艦が建造されたのもこの寒風沢島です。「開成丸」という船だったようです。どんな船だったんでしょうね。
⬛️六地蔵、化粧地蔵。お地蔵さんたちがいっぱい
寒風沢島は、地蔵さんたちの多い離島でもあります。散策していると、ばったり出会いますよー。
上の写真は、「寒風沢の六地蔵」。仏教の六道思想に基づいて、六地蔵らしいですね。輪廻の象徴だそうです。それぞれのお地蔵様様に設置されている風車が可愛らしく、癒されます。
こちらは、化粧地蔵。なかなか見ないタイプのお地蔵さんです。このお地蔵さんの顔に紅白粉を塗って祈願すると、子宝に恵まれるそうです。したがってお地蔵さんの顔が真っ白。初めに誰が言い出したのか分かりませんが、面白い言い伝えです。
⬛️初めて地球一周した日本人の出身島
津波で押し流されてしまったそうなのですが、以前は島にはこんな看板がありました。初めて世界一周した人間は、マゼラン・・・ではなくその部下たちですね(マゼランは途中フィリピンで殺されてしまったので)。
それでは初めて世界一周した日本人は誰か?・・・と言われると誰も答えられないのではないでしょうか。このギャップはなんだろう。なぜこんなに知られていないのでしょうか。
正解は「寒風沢島の島民であった津太夫と左平」です。初めて地球一周した日本人は、この寒風沢島出身の漁民たちだったのです!
意外ですよねー。こんな辺境とも思える離島の島民が、そんな偉業を成し遂げたなんて。
あまり知られていない理由として推測されるのは、本人たちの意志で地球一周をしたのではなく、逆に事故がきっかけになってする「羽目」になったからです。「よっしゃ、地球一周の冒険の旅に出よう!」という感じの真逆。
偉業を成し遂げたというポジティブなものでは決してなく、むしろ彼らの地球一周紀行は相当ネガティブな感じです。絵にならないので、話題にもならないのではないでしょうか。
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事件の始まりは、とある漁船が嵐に巻き込まれたことから。
漁船は漂流し、遠くアリョーシャン列島(ロシア!)にまで流されてしまいました。
その数、十数人。津太夫と左平もその中のメンバーでした。とても心細かったことと想像いたします。死も覚悟したのではないでしょうか。
そこで運良く原住民に保護され、ロシア本国まで送還されることになりました。そしてバイカル湖のほとりのイルクーツクに滞留することに。
ロシア皇帝は当時鎖国をしていた日本に外交を迫るカードとして彼らを使おうと意図しましたが、途中で皇帝が死去してしまい、イルクーツクで数年間無為な日々を暮らすことに。
しかし次の皇帝についたアレクサンドル1世から、帝都ペテルブルグへとやってくるように命令が届き、彼らはペテルブルグにて皇帝から気球やプラネタリウムの観覧を許されたり、様々な接待を受けたと言います。このあたりは楽しそうですねー。
日本に帰国したいかと問われ、帰国を願い出た四人(津太夫・左を含む)はロシア船ナジェシダ号に乗って遥か日本へと旅立つことになりました。あとの人たちはロシア本国に残ることにしました。鎖国最中の日本へと帰るのは、罪を問われて危ないと思ったのかも知れません。
バルト海を出て、南米大陸のホーン岬を抜け、ハワイなどに途中寄りながら長崎へとたどり着きました。漂流以来12年の歳月が経過していたといいます(長い!)。
長崎についても、鎖国中だったのですぐに帰国することができず、厳しい取り調べが行われました。半年もかかったといいます。
故郷に無事帰ってからも、彼らはそれほど恵まれた人生を送った訳ではなく、世界一周の旅についても沈黙していたといいます。
世界一周というとロマンがありますが、それほど楽しそうには見えないですね。というか、むしろ苦行という感じでできれば遠慮したいという感じの旅であります。やっぱり相当ネガティブ・・・苦笑
初めて世界一周した日本人は、寒風沢島の江戸時代の島民。
このことだけ、是非記憶のどこかに留めておいてください! 彼らの苦労に報いるという意味でも。
⬛️稲作の島
寒風沢島には、実は結構大きな水田地帯があります。
昔は漁業のかたわら農作も行い、自給自足を行ってきたそうです。一般的に離島の生産力は低いのが常であることを考えると、凄いことです。小さな島で川もないので、全て天水に頼った水田。とても原始的な農法が取られています。
こちらの水田も、やはり津波によって被害を受けたそうで、塩っぽくなり数年間まともに稲作ができなかったようです。今では立ち直っているようで、なんか感動してしまいました。最近では島おこしの一環として、寒風沢の米を使った地酒なども作られているそうです。是非飲んでみたいですね。
⬛️猫も多い島
島内を歩いていて感じたのは、猫がとても多い島であるということ。離島あるあるの一つですね。集落のあちこちで見かけます。自然と景色に溶け込んでいるので、なんだか面白いです。震災にも負けずに、猫たちは元気に暮らしている様です。それを知って安心しました。今後も歴史の深いこの寒風沢島が、震災の傷跡を跳ね返して繁栄してくれることを祈っています。また行ってみたいなあ。