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“おたあジュリア”の流人墓地。ほうそう神様など歴史豊かな神津島を散策しました。

こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事でも、前回同様神津島(こうづしま)について。

前回は浮世離れした天界を思わせる天上山について書きましたが、今回は「下界」側の神津島の集落や赤崎遊歩道などの絶景スポットについて取り上げたいと思います。

神津島の現地の様子について少しは伝われば幸いです。そしてご自身のご旅行の参考にしてくださいませ。

 

⬛️結構「都会な」神津島

 

神津島の集落内を歩いていて思うのは、「結構都会」だなあということ。離島なのでもちろん凄い都会な訳はないですが、それなりに全て生活設備が揃っているという意味です。

 

 

たとえば上の写真の精肉店。本当に人口の少ない離島だと「総合雑貨店」しかないところが多いですが、「精肉店」という肉に特化した店があるというのはなかなかハイレベルです。そうした産業が成り立つだけの人口規模があるということですから。

神津島の人口は約1800人。これだけ人がいれば、町というレベルになるということですね。

 

 

警察所も結構立派。「南」駐在所ということは、他もあるということです。やはり結構な都会。

 

 

人口が多いので、家々も結構多いです。そして立派な河川も。実はこれ川といっても「水無し川」。流量ゼロなので、草むら生え放題です。

前回の記事でも取り上げたのですが、神津島では土石流の災害が多く集落に被害を与えてきました。その土石流の通路として設けられたよう。現在では治山工事がしっかりとなされているので、土石流の災害はありません。

 

 

一部山肌が剥き出しになり、まるで工事現場のようになっているところがありますが、それが治山の跡です。こんな光景を目にする機会がこれまでなかったので、奇妙に映りました。

 

 

漁民の土地である神津島を象徴するマンホールも。

マンホールにはその土地の個性がよくでますよね、全国どこでも。注意してみていると面白いです。

 

⬛️流人墓地・おたあジュリアの墓

 

 

神津島の中心集落には、ちょっとした墓地が設けられています。

少し変わった墓地で、「流人墓地」という墓地。

伊豆諸島は江戸時代までは、島流しの土地であり、罪人が送られている土地でした。といっても神津島に送られてくるのは重大犯罪に手を染めた者ではなく、主に政治犯などでした。

神津島は人口自体が少なかったので、罪人が送られてくることもあまりなかったといいます。食糧配分の問題がありますから、生産力のもともと少ない離島に人を大量に送り込んだら大変なことになるのは目に見えています。

いつも思うのですが、島流しなどいって離島にやっかい者を追っ払うのは本土の人間にとっては利益でしょうが、島民たちにとってはたまったものではないですよね。力の弱い立場にあるものが損をするのは、いつの時代も一緒。

 

 

罪人の一人で有名な人物に「おたあジュリア」という人がいます。ちなみに女性。

おたあジュリアは、もともとは朝鮮で暮らしていたのですが、朝鮮出兵の際に日本に連れて帰られ、小西行長の養子として育てられたそうです。小西行長はキリシタン大名だったので、おたあジュリアもキリシタンになり、その際に「ジュリア」という洗礼名がついたそう。

その後駿府城にて、徳川家康お付きの侍女として寵愛されたそうです。飛び抜けた異色の経歴の持ち主ですね。そしてとても美人だったとか。

しかし時はキリスト教禁教のご時世。ジュリアの命運に暗雲が立ちこめます。

キリスト教の棄教を拒んだおたあジュリアは、神津島へと流されることになってしまいました。

島民たちは、突然現れた美女にどう対応してよいかよくわからなかったようですが、島民たちの心を救ったりと島民たちに献身的に尽くしたので尊敬されたと言い伝えられています。

とても謎の多い人物ですが、興味をそそられますね。

今でもおたあジュリアは大切に供養されています。

 

 

⬛️ほうそう神様

 

 

集落には面白い名前の神社があり、「ほうそう神様」といいます。

ほうそう神様は、子供の病からの守り神であるそうです。以下のような行事も開かれるそう。

 

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ほうそう神様と花正月

正月の十四日を神津島では花正月と言い、子供らの無病息災を祈る行事が行われる。

この日は家毎に石臼で米の粉を挽き、直径三cmほどの団子を作り蒸し上げてから竹の小枝に数個をさし、
花の付いた椿の小枝と共に子供の数ほど神棚に供えておく。

やがて、学校や保育園から帰ってきた子供らは、神棚の団子と椿の小枝を持ち、
それぞれこの「ほうそう神様」へお詣に出かけて来る。

神前へ供え手を合わせたお詣の後、椿の小枝は残し、団子だけを下げて食べると、ほうそう神様の裏山へ登り、
手に手に「トベラ」の枝を折り戻って家へ持ち帰る。

家では、年寄り達が持ち帰ったトベラの枝を囲炉裏の中へ呪文を唱えながらくべる。

火の中でトベラは、はげしい音とともに、異臭と青白い煙を出し葉肉から気泡が出ては消えながら燃えていく。
このことにより、天然痘にかからない呪ないとした。

天然痘がなくなった現代もこの行事は続いているが、生活様式が変わり囲炉裏がなくなったのでトベラを持ち帰り燃やすことはなくなった。

島では、トベラのことを「シッチリ・バッチリの木」と呼んでいる。
それは、この木が火の中で燃える際、チリチリ、パチパチ、お独特の音を出すからです。

昭和五十六年三月 神津島村

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まるで黒魔術のような儀式に思われますが、病で子供が死ぬことの多い昔には必須な行事であったことでしょう。一種の邪気払いのようなものでしょう。

 

 

ちなみに神津島は現在でも子供に優しい島で子育てにも理解があり、一度都会に出たシングルマザーなどが子育てに出戻ることも多いとか。

子育てに優しい環境がごく自然に生み出されているということ。少子化の進む日本にとって、何か参考になるかも知れません。

ちなみに神津島と子育ての話は、この本で読んだ知識です

その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――

http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=2928

意味深長なタイトルですが、それは読んでのお楽しみ。

自殺率の低い地域に焦点を当てた本ですが、離島に関する話が多くなっています。島の自殺率は低いということでしょうかね。そのあたりも関心持って是非御一読ください。

 

⬛️水配り神話

 

 

こちらは「水配り像」

伊豆の島々の神様が、神津島の天上山に集まって、各島への水分配の会議が開かれたという伝説があります。

『神代の昔、事代主命と神々によって伊豆七島が造られた後、
その真中にある神津島【神集島】で島々 の神々が集まり会議が開かれました。
場所は天上山山頂の火口跡の不入が沢。
会議の一番大事な議題は、命の源である「水」をどのように配分するかでした。
そして討議の結果、翌朝先着順に分ける 事に決まりました。
翌朝一番早く来たのは、 御蔵島の神様。そのため御蔵島は最も 多くの水を手に入れる事が出来ました。次に現れたのが新島の神様、3番目は八丈島、4番目は三宅島、5番目は大島でした。 こうして次々に水が配られ 水はどんどんなくなっていきます。
そんなところに最後に寝坊してやってきたのは利島の神様。既に水は殆ど残っていない状態でした。 これを見た利島の神様は怒り、僅かに水が 残っていた池に飛び込んで暴れ回りました。水は四方に飛び散りお陰で神津島ではいたるところで水が沸きでるようになったと言われています。不入が沢は今でも足を踏み入れてはいけない神聖な場所になっています。』

http://www.kozu-nangoku.com/kozu.densetu.html 様より引用

 

神津島が現在でも水に恵まれている理由を示す伝説です。

 

⬛️赤崎遊歩道へ

 

神津島の北端にある名所、赤崎遊歩道へも行ってみました。

神津島はそれなりの広さのある離島なので、移動には村営バスに乗せてもらうのが便利。赤崎遊歩道にも、後ほど紹介する多幸湾にも行ってくれます。

 

赤崎遊歩道は、岩の上を歩ける魅力的な遊歩道が特徴。

そしてこのあたりの海は、エメラルド色に澄んでいてとても美しいです。夏場はこの浅瀬へとダイブする人が多いようですが、春先なので人の姿もなく、静まり返っていました。

 

 

立体感も凄い。また夏場に来て飛び込んでみたいなあ。

 

⬛️多幸湾は安らぎの空間

 

少しマイナーですが、神津島の一押しスポットは、こちらの「多幸湾」。

真っ白い砂浜と淡い色の海が広がるだけのシンプルな場所ですが、いつまでもいたくなるような安らぎを覚える場所です。

 

向かい側には、神津島特有の石灰質の山。

多幸湾という縁起の良い名前の場所でもありますので、神津島の旅の最後あたりに訪れて、しばし静かに時を過ごすのが良いと思います。そういうのにとても向いていると思います。

今後に幸が多くありますように!

離島ナビ

http://ritou-navi.com

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