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水木しげるとも所縁深い島!ニューブリテン島の「ラバウル」航空隊基地跡。

こんにちは!ドクターリトーです。今回の記事では、南太平洋上の日本とかつて深い関係のあった島・「ニューブリテン島」ラバウルについて扱いたいと思います。ラバウルには太平洋戦争の頃、日本の「ラバウル航空隊」の基地が設けられていました。それゆえ今でも軍事史跡が多いのです。

 

⬛️ニューブリテン島?・・・ところで、それってどこの国の領土?

 

 

ニューブリテン島。

 

この島の名を聞いて、どこの国の領土か答えられる人はごく一部ではないかと思います。軍事マニアくらいかな。

 

ニューブリテン島は「パプアニューギニア」という国にあります。パプアニューギニアも現代の日本人にとっては馴染みの薄い国だと思いますが、ニューギニア島の東半分とその周りの島々を領土とする国です。南半球です。

 

近くにはインドネシアやオーストラリアといった国があります。

 

 

 

日本人が「パプア」と聞いて思い浮かぶものと言えば、結構古いですが「南国少年パプワくん」かも知れません。

 

パプアニューギニアと直接関係ないですが、南国ですしイメージはこの国から取られているのは確かだと思います。「パプワ」ってどこかエキゾチックで印象に残る単語ですし。

 

パプアニューギニアは「最後の秘境」とも呼ばれるほど未だに未開の土地の多い所で、800にものぼる部族が独特な文化を有したまま、今でも存続しています。

 

 

こんな方達や・・・

 

 

こんな方達がいらっしゃいます。

 

もちろん人間です。これらはお祭りの時の衣装ですね。あまりに特異な姿なので、思わず妖怪か何かと見違えそうです。いやこれは妖怪ではなく「精霊」なんです。念のため。妖怪とか失礼。

 

⬛️ニューブリテン島について

 

Wikipediaより

 

 

ニューブリテン島は、パプアニューギニアの領土の大部分を占めるニューギニア島とは別の島です。といってもすぐ東隣に浮かぶ島です。

 

上の地図のように、ブーメランというか弓なりの形状をした島ですね。

 

面積は36,514平方キロ。世界第38位なので、世界の島の中でも相当大きな方。

 

日本の九州(36,750平方キロ)とほぼ同じくらいなので、もはや「島」と呼ぶのが憚られるレベルです。

 

人口は約50万人なので、九州の1300万人と比べるとかなり空いています。

 

⬛️ラバウル航空基地

 

ニューブリテン島には、かつて日本の「ラバウル航空基地」が設けられました。ラバウルというニューブリテン島の北端近くの町にできた基地なので、こういう名前です。ニューブリテン島は当時オーストラリアの勢力圏だったのですが、日本が侵略して奪取しました。

 

なぜこんな南半球の日本列島から遥か離れた場所に敢えて基地が建設されたのか。考えるとすごい不思議ですよね。

 

太平洋戦争とは、イギリス・アメリカを駆逐して南方の資源を確保する戦争だったのですが、オーストラリアも英米の陣営に属する国。オーストラリアから連合軍に攻め込まれると困るため、パプアニューギニアやソロモン諸島を抑えることで、両者を分断する必要があったのです。

 

⬛️ラバウル入港

 

 

いよいよ、旅の本筋に参りましょう。

 

こちらは、ラバウルに入港する時の風景。明るい緑の樹々に南の島情緒を感じます。

 

 

船上から見る限りではラバウルは「街」というほどの規模には見受けられず、建物のまばらです。旧日本軍の基地があった割には、すごい田舎だなというのが第一印象。

 

⬛️手を振ってくれる人たち。凸凹の道。

 

 

ラバウルではツアーを取っていたので、車に乗ってラバウル周辺を回ることに。

 

現地の人たちは車を見かける度に手を振ってくれます。車が珍しいのか、とてもフレンドリーな人々なのか。きっと両方ですね。

 

 

ほぼ八割方の人たちが挨拶してくれるので、不思議な気分です。

 

他者に無関心な日本では、ありえない光景ですから。それだけこの島では人と人との距離が少ないということでしょう。島内に流れるどこか穏やかな空気感もそういうところから醸し出されているのでしょう、きっと。

 

雰囲気は良いのですが、道路には大きな凸凹があちこちに空いています。

 

穴をよけて車が進まないといけないほど。それでも小さい穴など避けられないものはあるので車がかなり揺れます。ガイドの方によると、この穴は雨によりできたものだそう。どれだけすごい雨が降るのかと。

 

 

⬛️船の隠し穴

 

 

 

途中、旧日本軍の戦闘用の船が隠してある倉庫を見学しました。倉庫というか、洞窟ですね。

 

巨大な船の「隠し穴」です。

 

 

こんな洞窟を掘るのはさぞ大変だっただろうなと思いを馳せていました。

 

小笠原の父島でも人工の洞窟を見かけましたが、戦争とは戦う前からとても大変な作業を強いられることを実感します。極めて損で労多くして益の少ない営みなので、そういう意味でもしない方が良いに決まっています。

 

 

洞窟のすぐ近くには、民族衣装(?)をまとった子供の姿が。

 

この島の人たちは、目が輝いているというか、目に独特の力強さを感じます。子どもたちも日本よりも生き生きとしているような。

 

⬛️ココポ博物館

 

 

ラバウルの町から少し南下すると、「ココポ」という別の町へと行きます。ココポには、旧日本軍の兵器などが見られる「ココポ博物館」があります。

 

 

こちらは小さな、機関砲(?)かな。これも小笠原で全く同じものを見かけました。

 

 

ぐちゃぐちゃになった何か。戦車か何かだろうか。

 

 

これは分かりやすいですね。旧日本軍が誇った戦闘機「零戦」ことゼロ式戦闘機。

 

まるでラピュタの世界のような不思議な廃墟感を纏っています。

 

そういえば、ゲゲゲの鬼太郎などで有名な「水木しげる」もラバウルとは縁の深い人でした。

ラバウルに配属されて、敵の襲撃に遭うも部隊の中でただ一人生き延びたとか。しかしマラリアにかかってしまい、療養中に敵機の爆撃を受けて左腕切断の憂き目を見たとか。

 

 

博物館の屋内展示には、祭事に使う被り物などもありました。

 

これを見た瞬間「悪石島のボゼ祭りとそっくり」と思いました。

 

 

雰囲気、そのものでしょう?

 

南方のパプアニューギニアから遥か北の日本まで文化が伝来したかと思うと、驚くと同時に親しみを感じます。南の島は繋がっているのだと。

 

きっと水木しげる先生も、若かりし頃に遭遇しただろうこの奇妙で魅力溢れる変装文化から妖怪のモチーフを得ていたに違いない。そう感じました。

 

⬛️南の島感抜群! マーケットを見学

 

 

途中、マーケットにも寄りました。いかにも南の島らしい果実たちが並んでいます。

 

 

衣装もカラフルな南国風のものが取り揃えてありました。

 

彼らの褐色の肌には、色鮮やかな着物が似合うようです。

 

⬛️ラバウル小唄を歌う人たち

 

 

途中、どこかで聞いたことのある歌のメロディが流れてきました。「ラバウル小唄」です。

 

現地の人たちが並んで唄ってくれているのでした。

 

ラバウル小唄とは戦時中にラバウルを唄った歌で、兵隊さんが島を離れる時に好んで唄ったそうです。

 

まさか現地の人が唄っているのを聞くとは思いませんでした。しかも日本語で。

 

 

とても懐かしい色調の歌です。是非聞いてみてください。元々は「南洋航路」というタイトルだったのですが、ラバウルを特に歌ったラバウル・バージョンの歌詞ものものが「ラバウル小唄」と呼ばれるようになったそうです。

 

♫椰子の葉陰に十字星〜

 

のあたりなど、とても南洋ロマンが歌詞に満ち溢れていて、ラバウルを後にしてからも時々聞くようになってしまいました。

 

まさに

 

♫さらばラバウルよ また来るまでは しばし別れの涙が滲む

 

の心境かというと、そこまでは言い過ぎですが。

 

⬛️「山本バンカー」へ!

 

 

ココポを離れて、再びラバウルの方へ向かいます。ラバウルの町を越え、さらに北へ。

 

真っ黒な地面が続き、向かいにはまだ活動の後が生々しい火山の姿が!

 

実はここラバウルは火山活動が盛んな地域。

まだそこまで昔ではない1994年には二つの火山がダブルで噴火を起こし、ラバウルの町は火山灰に埋もれてしばらく住めなくなったのだとか。もう今では復興していますが、ラバウルの町の規模が小さいのはその影響があるそうです。合点しました。

 

ラバウルの都市機能は縮小し、ココポの方へと移っていったそうです。「ラバウル空港」もラバウルから50キロも離れた遥かな場所へと移転してしまいました。

 

火山活動は悪影響だけをもたらしている訳ではなく、温泉も近くに湧いているそうです。私は行く機会はありませんでしたが。

 

 

こちらは「山本バンカー」の中。

 

ここはラバウルの司令塔があった塹壕で、中はかなりの広がりがあります。迷ってしまうほど。

 

なぜ「山本」バンカーなのかというと、海軍大将として有名な「山本五十六」がここに暮らしていたことがあったからだそう。

 

 

こちらは階段。

 

中はとにかく真っ暗なので、灯りがなければ何も見えないです。足元に要注意。

 

 

かつて作戦会議に使われていたのか、日本語で記されたラバウル周辺の地図があります。これを眺めると戦争は最近の話なのだと感じられ、生々しくもありました。

 

塹壕の中はかなり暑いので、ここで暮らすのはかなり大変だったと思います。先人の苦労を偲ぶ場所。

 

⬛️ニューブリテンは、心癒される場所

 

 

ニューブリテン島を回って感じたのは、とにかく心癒される島だということ。

 

人の優しい雰囲気だし、自然も豊かで穏やか。島じゅうにゆったりとした空気が流れています。こんな楽園が地上にあったなんて、もっと早く知りたかった。そう思わせられるほどに良いところで好きになりました。

 

こんな美しい島がかつて戦争の部隊であったなどと信じられないし、戦時中ではこの素晴らしい環境を安心して楽しむ余裕などなかったことでしょう。戦争に使うなどもったいない。そう思いました。

 

 

夕焼けの色も日本で見るものよりは遥かに色濃く、心打たれます。

 

こんな南洋の楽園に来られてよかった。また是非とも来たい。心からそう思います。その時には民族衣装の祭事も見られたらなお良いなと。

 

パプアニューギニア。

 

一番気になる国になってしまったかも知れません。こんなに秘境感抜群で、興味深い国、他にはちょっとないでしょう。異色の存在です。

やはり私は南方の地域と相性が良いのだなと改めて思いました。実はペンネームの「南野」は「南の島」から取っているくらいですので・・・笑  またもっと深入りしてみたく思います。

 

なんとニューブリテン島のココポにて、各地の「仮面部族」が集合するフェスティバルがあるとの情報を掴みました。

これは参加してみたい限りです。これは凄そう!毎年7月くらいにあるそうです。何としてもいかなきゃ!

https://tabippo.net/papuanewguinea-maskfestival/

 

離島ナビ

http://ritou-navi.com

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