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古式捕鯨の里、太地町にて過ぎし日のクジラ漁に思いを馳せる。人と鯨の絆。

こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、古式捕鯨の里である和歌山紀南地方の太地(たいじ)町、そしてその代表的な観光ポイントである“くじらの博物館”について取り上げたいと思います。

 

■古式捕鯨の里

 

太地町は、和歌山県の紀南地方にある街。戦国時代頃に古式捕鯨が始まり、日本におけるクジラ漁の発祥の地であるとされます。

その名残で捕鯨に関する様々な史跡が至るところに残っており、非常に面白い街です。早速散策してきましょう。

 

■まずは、くじらの博物館へ

 

 

太地町のくじらの歴史を詳しく知るなら、くじらの博物館へ行くのが一番です。

 

 

捕鯨現場の再現性の高そうなジオラマが作られていたり。

 

 

館内の空を泳ぐ実物大のクジラの模型。こちらはセミクジラかな。

 

 

クジラひげの装飾品。

 

 

古式捕鯨に使われた勢子船。非常にカラフルで華やかな装い。狩が彼らにとっての晴れ舞台であった事をうかがわせる代物と感じました。

 

 

捕鯨に使われた銛。こちらの銛を持って羽刺(はさし)という銛うちがクジラの背中に飛び乗って、槍を突き立てるのです。

 

 

古式捕鯨だけでなく、近代捕鯨に使われた“捕鯨砲”。

人が鯨に飛び乗って銛を突き立てる古式捕鯨と、近代の捕鯨砲での狩りとでは全然様相が異なります。

古式捕鯨は、人と鯨が織り成す体でぶつかる戦いで、一種の芸術性があります。魂と魂のぶつかり合いというか。鯨との間にどこか絆があるように感じさせます。だからこそ、鯨の墓を作ったり法名を与えるということがあり得たのでしょう。また人間の側にも死者が出ることも多く、人間も命がけでした。だからこそまさに戦いといった感じがします。

一方近代捕鯨は、飛び道具を使って一方的な殺戮を行う要素が強いです。戦いというよりは、虐殺。物理的に殺傷して、利用するといった感じがして、無味乾燥に思われます。これはただの偏見なのかも知れませんが。古式捕鯨の方が、遥かにロマンがあるかな。

 

 

アメリカ式捕鯨の現場を描いた絵画。やはりどこか味気ない。太地の古式捕鯨が良いなあ。

このくじらの博物館では、くじらについてのあらゆることが網羅してあり、非常によく学ぶことができる博物館です。本当にあらゆることが展示してあります。

鯨の進化の過程まで、説明してありました。もとは狼みたいな動物だったのが、数千万年をかけて、いつしか現在のような鯨へと進化したのです。鯨には足の痕跡があるとも言いますが、一度陸へ上がった獣が再び海へ戻った証拠だとか。

 

 

クジラやイルカのショーが見られる現場もあります。

鯨漁というと、近年では欧米諸国の保護政策、捕鯨反対運動から旗色が悪いですが、かつて古式捕鯨の本場であった太地町へとやってくると、日本人と鯨との親しい関係性について肌で知ることができて素晴らしいです。

日本人は鯨を捕獲してきましたが、そこには鯨に対するリスペクトが存在しました。

捕鯨=悪 保護=善 というのは、あまりにも浅薄な見方であると思います。鯨を狩り、同時に鯨を敬し、鯨に感謝をするという在り方がかつては成り立っていたのだろうということが伝わってきます。そんな博物館です。

 

■太地町の街並みを散策する

 

 

博物館で鯨について学んだあとは、太地町の古い街並みを散策してみました。

 

 

漁村特有の、乾いた砂っぽい街並みが続いています。いずれも今では貴重な古民家です。一度も訪れたことがないのに、懐かしい装い。令和の時代にも、昭和の香りをそのまま残しているような。

 

 

少し高いところにあるお寺。

 

 

こちらは、捕鯨の祖である和田忠兵衛頼元という人のお墓です。慶長11年(1606年)に組織的な捕鯨を始めたようです。

 

 

こちらは、和田忠兵衛の孫で、太地角右衛門頼治の墓。網掛突取捕鯨の祖で、捕鯨の手法を進化させた方です。彼の貢献で、ザトウクジラに網をかけて獲ることができるようになったようです。

 

 

日本遺産に指定されているようで、捕鯨関係の史跡については、説明用の板が用意され、丁寧に解決がなされております。

 

 

高台から眺めた街並み。離島の集落かと見違えるほどに、家々が密集しているのが分かります。山がすぐそばにまで迫った狭い土地に町が作られているので、似たような地形です。この街並みも、太地の街の魅力かな、と思いました。ずっと眺めていたくなるような美しさをたたえています。

 

 

鯨のお墓です。昔は鯨に法名を与えて弔う習慣がありました。鯨たちをまるで人のように扱う気風があったのです。鯨に対してリスペクトをもって接していたことが分かります。

 

■えびす神社。くじらの骨のモニュメント!?

 

 

鯨のあごの骨を使ったモニュメントが目を引く神社。えびす神社というらしいです。鯨骨鳥居と呼ばれるそう。これも鳥居なのですね。

同じような神社を五島列島の中通島で見かけたことがありますが、やはり古式捕鯨の里。捕鯨の里には共通した文化が出来上がるようです。

 

■指加子の墓

 

 

指加子たちのお墓です。捕鯨に従事していた人々のお墓です。彼らの貢献により、鯨漁は成り立っていたのですね。

名も残らぬ人々ですが、その功績は偉大です。

 

■古式捕鯨・狼煙場跡

 

 

集落からしばらく東側へと車で向かうと、捕鯨に使われた狼煙の跡地などを見かけます。

 

 

狼煙場の先には、見渡す限りの太平洋。南の海。ここに鯨がやってくるので、発見したら連絡して、捕鯨の始まりです。爽快な光景。ここから海を眺めると、自らが捕鯨に参加しているかのような気分になります。

他にも名所は色々とあるのですが、このあたりで。太地町は、素晴らしいところでまた行ってみたいです。

 

離島ナビ

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