神社だらけの信仰の島。輪島沖・舳倉島でただ天と海に身を任せる。
こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では能登輪島から北に50キロの国境の離島、舳倉島(へぐらしま)について扱いたいと思います。この島は浮世離れした風情をたたえていて、現実逃避をしたい人には特にぴったりの島であるかと思います。たっぷりと島の写真を交えながら綴っていきますので楽しみにしていてください。
■舳倉島に行こう!
舳倉島に行くには輪島港から向かいます。へぐら航路が出ていて、北に一直線に島に向かうことができます。
ちなみに舳倉島の位置はこんなところです。能登半島のかなり北側。佐渡島と緯度的にはほぼ同じです。
フェリー券売所に、横田めぐみさんのポスターが貼ってあるのが、懐かしい感じがしました。拉致問題、いまだに解決がつかないまま横田さんのお父様亡くなられましたね。残念な限りです。北陸も日本海の孤島航路へやってくると、拉致事件を肌身に感じます。
舳倉航路は往復で4600円もする、かなり値の張る航路。だから島での時間を大切にして元を取りたいと強く思います(笑)
こちらの、“ニューへぐら”に乗って一路、北の孤島へ。
舳倉島には数年前に苦い思い出があり、せっかくこの能登半島の先端まで来て船に乗ったはいいものの、海が荒れていたために“突き返し”というものに遭遇してしまったのです。突き返しとは、海が荒れているために船は島へと出るものの、荷下ろしと荷積みさえ終われば、すぐに輪島へと帰港してしまうというもの。日帰りでの旅行を想定いていたので、島での時間を僅か15分しか取れず、少し島内を走り回っただけで帰還することになったのです。そこでまともな観光をすることができませんでした。数時間は島での時間を取れると思ったのに、これは悔しい限り。
今回は一日宿泊することにしたので、ゆっくりと観光できます。前回のリベンジです。
舳倉島に向けて出発。
しばらく北に向けて船で行くと、岩がそびえているのが見えてきました。これは七つ島という島です。
岩にちかい小島から、こちらのように大きな島まで色々な島が。本当に七つあるのかは分からないですけれど、七つ島と呼ばれています。
舳倉航路のほぼ半ばの位置で見かける島です。
1時間半に及ぶ航海を経て、舳倉島が見えてきました。非常に平べったい島であることが分かると思います。最高高度は15メートルしかないそうなので、ほぼ平地のようなもの。昔は島と認識できずに衝突する船まであったそうで、高い灯台が建てられました。
■舳倉島入島。
舳倉島へと無事入港です。
漁が盛んな離島ですので、港には漁船がたくさん。漁村風景です。
■バードウォッチングの島
許可を取って撮らせてもらったのですが、このような巨大な撮影機を持った人が乗船客の中にちらほらといました。
舳倉島は渡り鳥の中継地であるので、色んな鳥を観察することができるのです。そこでバードウォッチャーたちがこの島を目指してやってくるのです。
島の旅館の壁にはこの通り、色とりどりの美しい鳥たちの写真が掲げてあります。これも野鳥愛好家たちの努力の賜物です。
この島を訪れる人の多くは、野鳥愛好家か、釣り客かのいずれかがほとんど。私のように、島を訪れるためにやってくる人はそれほどいないようです。
■民宿 つき
舳倉島はとても人口が少ない離島なので、島には民宿が二軒しかありません。もちろん食堂などもなし。ですので、島では必ず民宿に泊まる必要があります。民宿は、つき と つかさ の二つです。名前がよく似ているので、間違えそう。
ちなみにこちらが夕食。漁が盛んな島にふさわしく、魚介中心。まあ離島の食事はどこでも似たり寄ったりですが。宿のおかみさんによると、もずくのようなものは、“海そうめん”と呼ばれるものだそうです。もずくに比べて太い海藻です。
■“2拠点居住”の島
舳倉島は漁の島。もともと人が暮らしていたわけでなく、もともとは無人島でした。
そこ九州対馬の漁民たちがはるばる海を越えた訪れ、さざえやあわび漁に適した島であることを見出し、海士や海女たちが居住したのが島の歴史の始まりだとされています。
今の舳倉島では、夏と冬では人口が大きく変わるのです。さざえやあわび漁が行われるのは夏季。そのシーズンには、人が島に集まります。逆に漁が行われない冬季は人が激減します。
冬の間は能登半島の輪島で暮らし、夏は舳倉島に移住。つまり二つの場所で暮らしてきた訳です。
最近流行りの2拠点居住を昔から実践されてきたようなものです。つまり舳倉島は2拠点居住の島。時代の先端をいっていた訳です。一周回って新しいような。
島の方に見せていただいたのですが、こちらは漁に使う道具です。
■信仰の島。七つの小宮と奥津比咩神社
舳倉島を散策するとよく分かるのですが、この島は大変神社が多いです。奥津比咩(おくつひめ)神社という中心の神社および、七つの小宮があります。それ以外にも、港には弁天様など。
こちらは、港そばの弁天様。伊豆の神津島でも見かけました。海の守り神なので、各地にあるのでしょう。
こちらが、奥津比咩神社。荘厳な雰囲気の立派な鳥居が設けられています。
神社内部の社です。こちらが舳倉島の中心神社。夏季に漁に渡ってきた島人たちは、まずこちらに参拝するそうです。舳倉島の信仰の中心地と言えるでしょう。
こちらは、すぐ近くの大牟田神社。小宮の一つです。
立派な樹木が茂っていて、島の歴史をうかがわせます。
■石積み、ケルン
舳倉島を散策していると、あちこちで見かけるのがこちらの石積み。“ケルン”と呼ばれるものです。
これは標高の低い舳倉島を少しでも高く見せて、船の衝突事故を防ごうとしたとか、竜神様への豊漁祈願のために作られたモニュメントだとか、色々な説があります。
芸術性があって楽しいです。賽の河原に通じるものがあります。舳倉島の島人たちの心根が表れているかのように思われます。
■恵比寿神社
島を回り込んで、北側。つまり集落とは反対側へと歩いて行ってみましょう。
こちらは、恵比寿神社。舳倉島の東の淵にあります。
石段を登っていくと、この通り。神社本殿の回りが石積みで覆われているのが特徴です。
荒涼とした岩場が広がっています。そしてその先には、見渡す限りの海と島。それだけが目の前にあります。この光景は本土から遠く離れた孤島ならではもの。孤島ロマンにじっくりと浸ることができるスポットであります。
■舳倉島灯台
島の真ん中ににょっきりと生えるように建てられているのが、舳倉島灯台。この島で、非常に目立つスポットです。
■島の北側、竜神池と観音堂
島の北側へと辿り着きました。こちらは観音堂。神社だけでなく、お寺に近いスポットもあります。神仏習合の名残でしょうか。
すぐ隣にあるのが、こちらの竜神池。綺麗なハート型をしています。
こちらの池には竜が住まっていたという伝説があるようで、それを祭るために神社と拝所が設けられています。
こちらです。舳倉島は非常に信仰的な土地であり、これほど小さい島にこんなに多くの神社があるとは、驚くべきほどです。
“信仰の島”とでも呼ぶべきではないかと。こんな孤島で暮らしていると、信心深くなるというか、神や仏を敬う気持ちが増してくるのは、とてもよく分かります。
ここにあるのは、毎日上り下りする太陽と、見渡す限りの海。そして空だけ。神社を設けたり、ケルンを積まなければあまりにも寂しい。それでも寂しいですが、この島で暮らす上でのせめてもの慰め。
舳倉島を実際に訪れると、そんなかつての島民たちの心境がストレートに伝わってくる気がします。
■島を彩る可憐な草花たち
舳倉島は木々もまばらな荒涼とした寂しい島ですが、草原を歩いていると、可憐な草花たちを見かけました。
植物に詳しくないので、名前も分からないのですが。とても可愛らしい草花たち。
リンドウでしょうか? 名前を知りたい限り。この小さな草花たちがこの島の一際華やかなものかも知れません。
■金毘羅神社
上の写真は、神社のツーショット。金毘羅神社と八坂神社です。
確証はないのですが、“金”と彫ってあるように見えないでしょうか? 金毘羅神社の“金”かな。きっとそうだ。
■舳倉島。こんなに現世離れした雰囲気を堪能できる孤島も、ない!
舳倉島の雰囲気や空気感。拙い表現ながら、少しは伝わりましたでしょうか?
二度目の訪問にてようやく心行くまで回ることができましたが、ここまで孤島感を堪能できる離島もなかなかないと思います。
周りに他の島がある訳でもなく、沖縄の島のように亜熱帯植物が生い茂る訳でもなく、また人の姿もまばらです。冬場は船が結構することが多いようで、さらに秘境感は増します。
この島にあるのは、小さな集落。あとは草原、神社。ケルン。そして島の外には、天と海。それらがあるだけです。
バードウォッチングや釣りを私はしないですけれど、この孤島に会いにいくだけでも、訪れる価値があると強く思いました。
舳倉島。孤島好きにはたまらない島であると思います。是非とも訪れてみてくださいませ。
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