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ここは京都!?五重塔に能楽、京文化が色濃く残る真野村を歩く。

こんにちは。今回の記事では、佐渡島の続きを書いていきます。本記事では、主に真野町(まのまち)という地域について取り上げたいと思います。かつて佐渡国の国府が置かれていたところなので、とりわけ歴史が深い場所。愉しみに御覧ください。少し離れますが、中山峠という所にキリシタン塚も隠れる様に存在するので最後に触れようかと思います。

■ここは京都? 妙宣寺の五重塔

真野町は佐渡の真ん中を貫く国中平野(くになかへいや)の西端に位置します。中心都市・相川のようには都市化が進んでいないので、昔懐かしいのどかな佐渡が残っているところかも知れません。

こちらは妙宣寺(みょうせんじ)。歴史の深い御寺だそうですが、壮麗なる五重塔がトレードマーク。

なんだか京都に帰ってきたかの様な気分になります。それもそのはず。佐渡には京文化は相当深く浸透しているのです。

何故ならば、昔より佐渡は遠流の地。都を追われた貴族や皇族たちが多数流されてきました。その結果、京から遥か離れた佐渡島に京文化が浸透する事となったのです。

他に人がいないので、非常にひっそりとした雰囲気。観光都市京都では、こんなにゆっくりとは五重塔を眺める事はできません。

佐渡はゆったりと時間が流れていて、寛げます。離島にして、京を体感できる稀有な場所であると言えるでしょう。

妙宣寺の本寺。茅葺の屋根が非常に素敵。街中の京都ではまずないゆったり感。いや、佐渡は心底素晴らしいです。住んでみたいくらいです。

■真野御陵

先に佐渡は貴族や皇族が流されてきたと書きましたが、こちらの真野御陵は、順徳天皇(じゅんとくてんのう)の御陵です。

順徳天皇は承久の乱で北条鎌倉幕府打倒を目指しましたが、返り討ちに遭った事で流罪の憂き目に遭いました。

再び都を踏むことなく、佐渡で崩御されたそうなので、さぞ無念であったことでしょう。

しかし御陵の周囲は深い森で囲まれて、大変清浄感のある素敵な所でした。秘境好きの私としては、京都よりもこちらの方に住みたいかなあ。そんな事を言うと、順徳天皇に叱られるかも知れませんが・・・笑 真野に来たなら是非ともお参りしましょう。

■佐渡歴史伝説館

真野には、佐渡の歴史を知る絶好のスポットが用意されています。こちらの「佐渡歴史伝説館」です。

佐渡に歴史の深い有名人たちが、色々と紹介されています。機械仕掛けの動く人形たちが芝居をしてくれるので余計に楽しいスポット。

先程紹介しました順徳天皇が、何やら舞を舞っています。

こちらは日蓮上人。日蓮も佐渡に流された著名人。上の写真は鎌倉の龍の口で処刑されかかっているところ。ここで落雷があって処刑は中止され、佐渡に流刑に変更されたそうです。神通力でもあったとしか思われないエピソード。

小船に乗って、佐渡に渡ってきた日蓮。神通力で荒海を沈めている様子。

日蓮は他の宗派の開祖と比べても、かなり異色な印象を受けます。荒ぶる怒れる人というか。もし実際に会ったら、とても記憶に残るような人ではないでしょうか。勝手な想像に過ぎませんが。

佐渡に流された有名人といえば、能学で有名な世阿弥(ぜあみ)もいます。世阿弥は室町時代、京の勢力争いの煽りを受け、配流されました。

世阿弥は若狭より船出して、能登半島を経て佐渡に辿り着いたそうです。佐渡は現代でも能楽の盛んな土地柄。全国の能舞台の三分の一が集中しているというから驚きです。

世阿弥が配流されたから能楽が盛んなのでしょうか。直接的に佐渡に能を広めたのは江戸時代の能楽師だそうです。

しかしそういった文化を受け入れる下地は、以前から形成されていたのでないでしょうか。

伝説館は佐渡の歴史や風俗について分かりやすく知ることができる、御勧めスポットです。とても満足できました。

出口では、こちらも佐渡島のシンボル、トキたちの写真が展示されておりました。トキは昔は多く生息していたそうですが、今では非常にその数を減らしております。近頃関係者の努力の甲斐あり、個体数は徐々に増えてきているそうです。

野生のトキを目にするのは難しそうですが、「トキ保護センター」に行けば目にすることが出来ます。私は今回は行けませんでしたが。

■佐渡国分寺

真野は佐渡の国府が置かれていたため、国分寺だってあります。国分寺は奈良時代は741年、聖武天皇が日本の各国に建立を命名した寺であります。

つまり佐渡は、京から遠く離れた島ながら、一国として認知されていたということ! 素晴らしいですね。

寺の構内では、風情あふれる建築物を目にすることができます。茅葺の建物が多いなあ。

国分寺も真野においては、是非とも足を運ぶべき所だと感じました。金山跡も宿根木も良いですが、やはり真野は外せません。

■中山峠のキリシタン塚

最後になりましたが、「中山峠のキリシタン塚」も少々紹介。中山峠は佐渡金山から近いので、国中平野を挟んで真野とは反対側になります。

草原のようにも見えますが、こちらは殉教したキリシタン達の眠る墓です。キリシタンというと、九州の長崎や大分のイメージが強いですが、北方の島国・佐渡にもやはりキリシタンはいました。金山などで働いていたといいます。

金山というと徳川幕府の資産なので、マズい感じがするのですが、島原の乱以降、案の定迫害の嵐が吹き荒れました。大勢のキリシタン達が処刑されたと言います。

キリストも、極東の島国の、これまた辺境の孤島に信徒ができるとは想像していたでしょうか。正しく神のみぞ知ることです・・・笑

「百人塚」の説明板。大勢の殉教者が出たそうです。彼らの冥福をお祈りしております。

死後墓も造ってもらえないなんて、酷い扱い過ぎますよね。信仰が守られている現代は、比較すると実に有難い時代であるのだと実感します。

真野は歴史の由緒正しい素晴らしい所なので、是非とも足を運んでみてください。

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