元寇から壱岐を守った少弐資時の物語。壱岐島に旅しよう!!
こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、長崎県の壱岐島を扱おうと思います。・・・と書いてみて違和感を感じたのですが、壱岐は福岡県ではなく、長崎県の離島だったのですね。
【壱岐島情報】
《アクセス》博多港、もしくは唐津東港からフェリー。もしくは長崎空港から飛行機。
《宿泊》民宿、旅館多数。鮮度の良い魚介類が魅力。
《食事》食堂、レストランも多いです。うにめし食堂、寿司屋など。
◾️福岡じゃないよ! 長崎の離島、壱岐島。
http://hiiki.iinaa.net/cn14/pg13.html
上の地図において、赤い字で「壱岐」と記されているのが、壱岐です。
位置的にも、福岡県の方が遥かに長崎県からよりも距離が近いように思います。実際フェリーも福岡港から出発です。長崎港からはフェリーも出ていません。
それなのに一体なぜ、長崎県に所属しているのでしょうか。
これはどうも明治時代に行われた、廃藩置県が影響しているようなのですね。
壱岐は江戸時代には平戸藩に所属しており、そして平戸藩は長崎県に編入されました。
だから壱岐も長崎に同時に編入された、ということのようです。
交通の面でも、経済の面でも壱岐島は福岡に依存しているので、福岡県に改めて編入する運動も盛んだったらしいのですが、最近は下火になっているようです。
◾️まったりした離島、壱岐
私が壱岐島を訪れたのは、2014年の9月です。
壱岐の印象は、一言で言うと「まったりとした空気が漂う、懐かしの離島」とでもいうものでしょうか?
これまで旅をした離島の中でも、壱岐は思い出に残っている、印象が良い離島です。何が良いかというと・・・壱岐に住む島民の方々の、暖かさです。
港で座っているとタクシーの運転手さんがやってきて、壱岐の観光名所について教えてくれました。
観光案内所のお姉さんも非常に愛想がいい。宿に泊まっても、女将さんが優しい。
博多弁が魅力的・・・笑
壱岐の島としての魅力と並んで、人の魅力というのが、壱岐の何よりの良さなのであると思います。
◾️「おもてなし」の精神の離島?
島を出る時に宿の女将さんから聞いた話によると、壱岐という島は、島全体に「おもてなしの精神」が行き渡っているのだそうです。
そういうことだったのか、とその話を聞いて、納得しました。
壱岐の暖かみというのは、何事にも代えがたいものなのだと、本当にそう思います。
気候も温暖だし、壱岐全体が比較的小さく、平坦な島なので、そういう面でも安心感があります。
◾️湯ノ本温泉
ちなみに素敵な黄土色がかった温泉も湧いていたりします。
湯ノ本温泉と言います。
なんだかほめちぎってしまったようですが、壱岐島を必ず訪れた方が良い離島として、強く推したいと思う次第です・・・笑
◾️元寇の島、壱岐
こんな平和な壱岐島ですが、かつて島全体が荒らされて大変なことになったことがありました。
時は鎌倉時代、元寇の頃です。
壱岐、そして対馬もそうなのですが、朝鮮半島と日本のちょうど中間に浮かぶ離島なのですね。
だから元王朝が朝鮮半島を通じて日本に攻め込もうとした時に、最初に通りかかるのは、対馬と壱岐であった訳です。
壱岐には、元の大軍が上陸しました。そして島を守る守護の少弐(しょうに)氏を攻め立てたのです。
◾️悲劇のヒーロー、少弐資時
壱岐の芦辺(あしべ)港の近くには、馬に乗った若武者の像が立てられています。
この人、少弐資時(しょうにすけとき)という名前らしいです。
1度目の元寇、文永の役(1274年)の時に19歳でした。
少弐氏は激しく抵抗しました。そして勇ましく戦った少弐資時は戦死してしまいました。
しかし少弐氏はやがて元軍を退け、敗れた元軍は今度は平戸へと向かいました。
島民たちは、島を守るために戦った資時を手厚く葬りました。壱岐神社においては、今も島の守護神として祀られています。
◾️元寇の名残
壱岐神社の中には、他にもこのような塚があります。
これは、元寇の時になくなった島民たちを弔うために作られた塚らしいです。
八百年経った今でも変わらず、花が捧げられています。
元軍は残忍で、捕虜にした島民の手の甲に穴を開け紐を通し、元の船の周りに吊るしたと言います。
そうすれば日本軍が矢を射かけられなくなると考えたらしいです。なんとも恐ろしい話です・・・。
平和でのどかな壱岐島にも、悲惨な歴史があるなんて、今の様子では考えられないのですが、確かにそんな歴史もあったようです。
壱岐島、是非一度旅をしてみてください。
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