橋が架かると、離島が変質する理由!!もはや「島」じゃないのです。
こんにちは、ドクターリトーです!!今回の記事では、少々風変わりなテーマを扱ってみたいと思います。「橋が架かると、離島が変質する理由」についてです。
◾️橋が架けられた島々
20世紀に入ってから、日本の離島には橋が架けられるようになりました。本土から近い距離にある離島や、あるいは離島同士が比較的近距離にある場合です。
具体例はというと
・明石海峡大橋(淡路島と兵庫本土)
・しまなみ街道(広島の離島と愛媛の離島、および広島本土と愛媛本土)
・大島大橋(周防大島と山口本土)
・能登島大橋(能登島と石川本土)
などが有名ですが、他にも橋で繋がれた例は数多くあります。
近年ならば、2015年に完成した宮古島と隣の伊良部島をつなぐ「伊良部大橋」が有名です。ちなみに伊良部大橋は無料で渡れる橋としては日本最長です。
◾️橋が架かると「離島」でなくなる
離島が他の土地と橋でつながれた場合、離島は、周囲を海で囲まれた土地ではなくなります。
つまりその時点で、離島は本当には「離島」でなくなる、とも言えるでしょう。
島というものは周囲が海で囲まれていることがその定義の一つですが、「周囲が海で囲まれている」という条件が部分的に消失するということですからね。ただ一本の橋がかかるということに過ぎないのですが、その結果、離島には大きな変化が起こるとあると思われます。
◾️利便性の向上と、独自性の消失
橋が架かることによって、離島には本土との間に陸上交通が発達することになります。
その結果、例えばしまなみ海道の島々では、フェリーの本数が激減し、その代わりに自動車やバスの利用が一般化したようです。わざわざ船を使う必要がなくなったからです。気軽に利用できる車を利用して、島外へと出るようになるのです。
買い物は本土でできるようになりますし、逆に本土から島まで何かを買い求めに行くことも容易です。そして急患が出た場合、本土の病院へ運ぶことも以前よりはスムーズになるでしょう。確実に便利になります。
その反面、離島の独自性が失われたり、離島の過疎化に繋がります。橋ができると便利になるので、離島が活性化するかと思いきや、逆の結果になることが多いようです、不思議なことに。
本土と橋で繋がるということは、離島が離島であることを止めて、「本土の延長」になることだと言えると思います。
橋が架けられていない時は、「島で完結させる」という意欲が島内にあっても、橋が架けられると徐々に本土に依存していくようになるようです。そうすると、わざわざ離島で暮らすことに島の人々がこだわらなくなり、延長上の本土に向けて人口が流出するという仕組みです。
また離島の文化は、海に閉じられた閉鎖性のせいで維持されてきた面が多く、本土の延長になれば、「本土化(均質化)」が否応なく進行します。つまり、離島としての、独自性は薄まっていくことになるのですね。
◾️橋が架かることを拒否した答志島
伊勢湾に浮かぶ答志島(とうしじま)には、かつて本土との間に橋を架けようという計画がありました。答志島は対岸の志摩半島とかなり近い距離にあります。
答志島の記事も是非読んでみてください!! http://ritou-navi.com/2015/08/15/maruhachi/
しかし架橋計画は現在は挫折しているようです。
理由は、島民の反発によるものでした。「橋が出来ると外から良くないものが入ってくる」と言う意見が大勢であったようです。
答志島は、家々に描かれた「マルハチ」マークなど独自性が特に著しい離島ですが、答志島の人々は、橋が架かると独自性が失われることを恐れたようです。
離島は海で隔てられていることによって独特な文化を維持しているので、橋が架かると「本土化」が進み、島としての個性が薄れてしまいます。
これは本土の地方なども同じで、交通の便が良くなるほどに、地方の特色というものは失われていく傾向にあるようです。離島は海によって隔てられている結果、独自性が守られている側面があるのですね。
◾️橋を架けるか、架けないか
離島に橋が架けられるかそうでないか、プラス面マイナス面はありますが、当然ながら離島に暮らす人々の選択なのだと追います。また橋が架かることによって発生する変化というものは、離島ごとに違うのだと思います。
離島の独自性を愛する私としては、島は少々行きにくい方が良いと勝手に思っています。橋の問題だけでなく、船で行くにしても、少し時間がかかったり、船の便数が少なかったりすると、何だかワクワクとします。
しかしそれは外部から訪れる者の都合というもので、離島へのアクセスの問題は、当然離島に暮らす人々が決めるべきことに違いありません。離島と橋の関係というものは、興味深く複雑な問題だな、と思っています。