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日本初の海底遺跡!元寇の史跡が今も残る鷹島にて思いを馳せる。

こんにちは、ドクターリトーです!

今回の記事では、鎌倉時代におけるモンゴルの日本への侵攻・・・即ち「元寇」の舞台になった異色の島について扱いたいと思います、その名も鷹島(たかしま)と言います。図らずもモンゴル軍の侵攻を受けたことで、鷹島には元寇関係の史跡が数多く残ることになりました。これから紹介していきますので、楽しみにしていてください!

 

⬛️鷹島へ入る

 

 

鷹島は現在架橋されているので、車で入島することができます。

島には海を隔てて離れていてほしい(それでこそ「離」島!)と常々勝手に思っている私にとっては少し寂しいですが、便利であるには違いありません。

写真の美しい橋は、鷹島肥前大橋という橋で2009年に開通した比較的新しい橋です。鷹島自体は、長崎県松浦町に属していますが、橋で繋がっているのは佐賀県の唐津市。だから佐賀から入って橋を渡ったら長崎という不思議なことになっています。

 

 

橋を渡るとさっそく看板が出迎えてくれます。「元寇船発見の島!!」。なんだか楽しみになってきます。

昔は元寇で荒れた島ですが、今ではそんな歴史が眠っているとは思われない静かでのどかな島になっています。とても過ごしやすそうに感じました。暮らすにもよいところなのかも。

 

⬛️鷹島神崎遺跡

 

 

鷹島の東側に広がっている海。

何の変哲もない海辺に見えるかも知れないですが、こちらは海底遺跡(水中遺跡)です。しかも日本初の海底遺跡なんです。

鷹島神崎遺跡(たかしまこうざきいせき)」と言います。

何故日本最初に海底遺跡に指定されたかと言えば、もちろん元寇関係の史跡が数多く眠っているからです。

 

https://www.city-matsuura.jp/top/kanko_bunka/rekishi_bunka/takashimakaiteiiseki/2099.htmlnbsp;

 

実際に水中に潜ることは一般人にはできないわけですが、水中には興味深いものがあるようです。

 


https://diver-online.com/archives/go_to_diving/6209nbsp;

 

こちらは元軍の武器として使われた「てつはう」ですね。水中考古学という学問が扱う分野らしいですが、とてもロマンがあるように思われます。

いやー、可能ならばダイビングしていろいろと間近で見てみたいなあ。

 

⬛️宮地嶽史跡公園

 

 

元寇の記念碑などがあるのが、こちらの公園

宮地嶽神社という神社があるのでこういう名称になっているらしいです。

ところで元寇と言えば、二度ありました。文永の役(1274年)弘安の役(1281年)の二回がありますが、両方ともで鷹島は元寇の舞台となりました。

文永の役では元軍が鷹島に上陸し、住民を虐殺しました。弘安の役では台風で被害を受けた元軍は撤退を決意。上層部は兵卒たちを見捨てて大陸へと逃げ帰りました。残された10万の兵卒は鷹島に上陸して船を建造して撤退することになりました。

しかしそこに日本軍が攻撃をくわえ、2〜3万の捕虜を出しつつ元軍は壊滅しました。これを鷹島掃蕩戦と呼ぶらしいです。一方的な戦いだったのでしょうね。なにしろ日本武士団のホームですから。

そういうわけでこの島には、元軍の兵士たちの血が多くしみ込んでいるという訳です。

地名にも『首崎、血崎、血浦、刀の元、胴代、死浦、地獄谷、遠矢の原、前生死岩、後生死岩、供養の元、伊野利(祈り)の浜』と戦闘の激しさを物語るものが多く残されているようです(Wikipediaより)。

 

 

元寇から700年の記念碑。元の兵士たちも今頃は安らかに眠っていることでしょう。

 

⬛️モンゴル村

 

 

鷹島が元寇、つまりモンゴルと縁が深いことをきっかえとして「モンゴル村」という施設が作られたようです。

建物がモンゴルの伝統的な家屋のゲルっぽいですね。

 

 

かつてはモンゴルをネタにしたテーマパークとして賑わっていたそうですが、今では閉園してしまい、人通りもなくひっそりとしています。

ゲル(パオ)は多数見かけました。しかしロープで縛ってあるので使えないのかもです。モンゴル村は閉園していますが、入場はできるのでだだっ広い芝生などを堪能することはできます。人気もないので自分の公園みたいな気分になりますよー。

 

⬛️埋蔵文化財センター

 

 

元寇についてさらに詳しく学術的に学ぶなら、ここに来るのは絶対です。

埋蔵文化財センター」。鷹島の考古学的な文物について展示されています。

私たち以外客もいなかったので、学芸員の女性が懇切丁寧に解説してくれました。

 

 

こちらは元軍の兜。腐食が激しいですが、兜の形を保っています。

 

 

鎖帷子です。こういうのは、日本の鎌倉武士は使わないですよね。なんだか不思議な感じがします。

資料館には鍬なども展示されていました。元軍が持ち込んだものです。

これは驚いたのですが、元寇に成功したら、元の兵士たちはそのまま日本に入植するつもりだったそうです。そのまま植民地?

もし元寇で負けてたら、日本の歴史が変わっていた可能性おおありですね。本当に勝てて良かったと今更ながら胸をなでおろしました。恐ろしい話です。

 

 

元軍の上役の印鑑。パスパ文字と呼ばれるエキゾチックな文字が使われています。

 

 

入り口に掲げられていた、蒙古襲来にまつわるイラストです。

船から放り出されて土左衛門になっているはずの元の兵士がスマイルしているのが、なんとも不気味に感じられました。どうして楽しそうなんだろう・・・笑

 

 

蒙古襲来をARにて体感できるアプリ。

鷹島。他にもスポットはありましたが、全てを回った訳ではないのでこのあたりで終了したいと思います。チャンスがあれば是非とも訪問して、遥かな元寇に思いを馳せてみてくださいね!

 

離島ナビ

http://ritou-navi.com

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