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ボニン・アイランド!!日本と欧米の間で揺れた小笠原諸島。

こんにちは。ドクターリトーです。今回の記事では、小笠原諸島がいかにして日本領になったのか。その歴史について、少々取り上げてみたいと思います。

 

【父島情報】

《アクセス》東京・竹芝港から「おがさわら丸」で24時間。飛行機はありません。

《宿泊》ホテル、民宿多数あり。

《食事》なんでもあります笑 ウミガメ料理があったので、食しておくべきかと。小笠原の名物「島寿司」もおすすめ。パッションフルーツやパパイヤなど、南国果実も良いです。

 

◾️長らく無人島だった、小笠原諸島

 

 

そして小笠原諸島は、もともと日本の領土ではありませんでした。

 

いや、正確にはどこの国の領土でもありませんでした。

 

なぜなら、小笠原諸島は長い間、誰も住んでいない無人島だったからです!

 

小笠原に人が住み始めたのは、1830年ごろの話。ということは、人が住み始めてまだ200年経っていないということです。

 

しかも最初に住み始めたのは、日本人ではなく、欧米系、そしてハワイ系の人々でした。

 

◾️今でも欧米の文化が色濃く残る島

 

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こちらは、父島の街の一角にある、聖ジョージ教会。

 

日本で教会のある離島というと、隠れキリシタンで有名な五島列島が思い浮かびますが、そことは雰囲気がかなり違います。

五島の教会は和風(?)の感じがしますが、聖ジョージ教会は、純洋風というか、いかにもアメリカにありそうな教会です。表にアルファベットで記された説明もあるし。

 

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ここはアメリカか? と思ってしまうようなレベル。

 

そしてこの教会には、欧米系の方々の子孫(つまりキリスト教徒)が礼拝されるそうです。

 

そう、小笠原諸島には、今でも欧米系の人々が住んでいるのです!!

 

実際島に行ってみると、顔立ちがいかにも西欧風な人を見かけます。西欧系の血を引く人の割合は、父島の全人口の10パーセント弱だとか、ガイドの人からは聞きました。

 

父島は、欧米系の人、そしてポリネシア系の人によって、開拓された島だった名残が色濃く残っていることが伝わってきます。

 

 

それでは、欧米系の人々が最初に住み着いた小笠原が、なぜ日本の離島になったのか?

 

それは小笠原貞頼(おがさわらさだより)伝説があったからです。

 

◾️小笠原貞頼伝説

 

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上の写真は、小笠原諸島発見の碑。「無人島発見之碑」と記されています。小笠原貞頼という人がこの島を発見したとされています。

 

小笠原貞頼は、安土桃山時代の人。もともと信州、今の長野県の城主であった武将で、1593年に太平洋を海で探検し、小笠原諸島を発見したらしいです。

 

小笠原貞頼が、この島々の第一発見者。だから、「小笠原諸島」と呼ばれます。

 

ただこの定頼は、あくまで伝説上の人物で、実在性に疑問が多いにあるということです・・・笑 実に頼りない伝説。

 

ただし、小笠原貞頼伝説は、後に日本が小笠原領有を確定させるための根拠として、利用されることになります。そういう意味では重要な意味が持ちました。

 

◾️「ボニン・アイランド」

 

正式に日本が小笠原諸島の存在を知ったのは、江戸時代。1670年、紀州のミカン船が沖合で遭難し、たどりついたのが小笠原でした。

 

小笠原で船を作り直し、伊豆諸島を北へ伝って、ほうほうの体で日本本土へと帰り着きました。そして江戸幕府に小笠原諸島の報告をしたのです。その後幕府の探検使節が父島を訪れ、「此大日本内也(ここだいにほんのうちなり)」と、とりあえずは小笠原の領有宣言を行いました。

 

小笠原は、無人島(ぶにんのしま)と呼び慣わされました。文字通り無人島だからです。

 

英語圏では小笠原諸島のことを、ボニン・アイランド(Bonin Island)と呼びますが、その名の由来はここから来ています。

ぶにん→Bunin→Bonin ということです。

 

◾️無人島のまま放置された小笠原諸島

 

江戸幕府は小笠原諸島をとりあえず領有宣言はしたものも、入植者を派遣する訳でもなく、その後200年程度も無人島の状態で放置していました。なぜなら本土からは遠い離島で、利用価値もなかったからです。

 

そうしているうちに、いつしか欧米系の方々が入植し、開拓が始まり・・・、ということらしいです。

 

江戸幕府は外国の入植者の存在を幕末になってようやく知り、使節を再び小笠原に派遣して、島民たちに対して、小笠原の日本領有宣言を行いました。海賊などからの庇護者を求めていた島民たちは、日本領となることを喜んで受け入れたと言います。

 

しかしその後幕末の一連の騒動にて、幕府は小笠原どころではなくなり、再び小笠原は放置されることになりました(本当に複雑で分かりにくいです・・笑)

 

正式に小笠原が日本領になったのは、明治の世になってから。明治政府が1876年に正式に世界に対して領有宣言を行い、ようやく小笠原諸島は日本領と確定しました。そして欧米系の人々は、日本人として、帰化しました。

 

◾️太平洋戦争でアメリカ支配下になる

 

その後太平洋戦争の結果、小笠原諸島はアメリカの支配下に置かれます。当時は日本系の人々は島を追い出され、欧米系の人だけが住むことを許されました。

 

そして1968年に、小笠原諸島は日本へと返還されました。その後日本から入植者がやってきて・・・今の小笠原に至ります。

 

小笠原諸島。本当に不思議な歴史をたどった島々です。小笠原諸島を訪れると、どこかに日本離れした欧米風の雰囲気が残っています。歴史を振り返ると、自然と理解できるかと思います。

 

日本と欧米。二つの文化の入り混じる小笠原。南西諸島とは一味違う歴史。是非訪れて感じてみてほしいと思います。

 

◾️小笠原諸島の面白い島名たち

 

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ちなみに、小笠原諸島の島々の名前。だいたいが親族の名称になっているのです。

父島、兄島、弟島:父島列島

母島、姉島、妹島、姪島:母島列島

聟(むこ)島、媒(なこうど)島、嫁島:聟島列島

 

普通の離島でこういう名前がついていることはないので、明治時代になって領有後、半ば思いつきで焦って名付けた感じがして笑、そこも良いと思います。

 

離島ナビ

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