瀬戸内海・豊後水道の島,  猫島・動物島・鳥島,  歴史上の人物,  地域の農業・漁業

カリブだけじゃない。日本版海賊・藤原純友の本拠地、日振島!!マグロ養殖も盛んです。

こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、豊後水道は、宇和島市街から向かい島、日振島(ひぶりしま)について扱いたいと思います。日振島は、昔は海賊の根拠地になったこともある歴史ある離島です。

 

◾️日振島について

 

 

日振島は、宇和島海に浮かぶ島。

瀬戸内海の四国側の出口にあたる豊後水道の只中に浮かんでいます。それも宇和島市街からはかなり沖に。

なかなかアクセスしにくいし、珍しいエリアに位置する離島である印象です。

 

そして南北に細長く、地形も特徴的です。人口は400人くらい。主な産業は漁業・養殖業など。

 

◾️日振島の風景

 

 

宇和島港からフェリーに乗船し、約1時間、日振島へと到着しました。

http://www.seiunkisen.co.jp/unkouannai.html(フェリー、高速船のHP)

 

降り立った場所は、喜路(きろ)港という、三つの港の内で一番南の港。こんな感じで、いかにも瀬戸内海の静かな島という雰囲気。

 

 

 

少し歩くと、壁が剥がれ落ちたボロボロの鉄筋ハウスがあり、衝撃を受けました。

 

ドールハウスみたいじゃないですか! それにしては、きたなすぎる感じはしますが・・・笑

 

◾️ひたすら北に向けて歩き続ける

 

南北に細長い日振島で、一番中心的な集落は、真ん中の明海(あこ)集落

 

そういう訳で、深い考えもなく一番南の港に降り立ってしまった私は、ひたすら北へと向けて歩き続ける羽目になりました。まあそれも、この日振島遠征の醍醐味の一つなのでしょうが。

 

 

途中、驚くべき光景に遭遇しました。

こんな感じで、道路の片側に海藻が敷き詰めてあるのでした。採集した海藻を乾燥させている光景かも知れません。

海藻を干す光景は見たことがありますが、ここまで露骨な「海藻ロード」は初めて見たと思います。

 

◾️マグロ、ハマチ・・・養殖が盛んな日振島

 

 

途中山道に入っていくのですが、坂の上から海を一望できるように。

ご覧のように海上には不思議な光景が広がっていました! これは養殖設備らしいです。

 

 

日振島は、本マグロを初め、ハマチなどの養殖が盛んであるそうな。

 

民宿に泊まったら食せたんだろうなー。日帰りですぐに帰ったのが少々悔やまれます。

 

日振島の本マグロ・・・。

 

 

途中、面白い鳥居(!)も発見。「捨てたあなたにバチがあたりませんように」と一見気遣った表現になっているのが、脅しめいてて非常に良いと思いました。

 

 

途中、こんな秘境感丸出しのエリアも通過しました。日振島、実に大自然広がり、ワイルドです。

道の端っこには、やはり海藻が置かれているのが面白いです。これも、離島ならではの光景と言えるでしょうな。

 

◾️明海集落へ

 

 

長い長い山道を歩き終え、ようやく明海(あこ)集落が近づいてきました。

 

行く手に、洒落た新しげな建築が姿を現しました。そしてグラウンド。

 

 

 

どこからどう見ても小学校だと思ったら、小学校でした。

離島離れした豪華な造り。さぞ多くの補助金が投入されているのでしょう。

離島の小学校、通ってみたかったなーと、憧れがあります。生徒数も少なく、のんびりとした学校生活が送れそうです。

 

◾️ついに、藤原純友の史跡へ!

 

日振島と言えば、忘れてはいけないのが、平安時代の海賊、藤原純友(ふじわらすみとも)の本拠地であったこと!

 

純友はこの日振島を根城にして、海賊行為に邁進したのです。千隻もの船が集合したとも言います。

 

純友は平安時代を生きた人物。wiki情報では、生没年は893ー941とされています。ですから、1000年以上昔の話ですね。

 

平将門と並び朝廷に弓引いた反逆者とされています。歴史の授業でも必ず習うくらい有名ですよねー。

 

海賊というと、「パイレーツ・オブ・カリビアン」とか、「ワンピース」とか、カリブ系の海賊ばかり(髑髏旗とか大砲とかオウムとかのイメージ)が思い浮かびますが、日本にも海賊はいたんです。

 

日本版海賊、というやつですね。村上水軍とかと、イメージ近いでしょうか。内海を和船を使って航行し、弓矢で攻撃。こういうのも、海賊の一派です。

 

まさにパイレーツ・オブ・ジャパン・・・笑  純友はジャック・スパロウのような男だったのか。

 

藤原純友は朝敵とされてしまった訳ですが、彼は当時の腐敗した貴族社会を心底嫌っており、反逆をすることが正義だと思っていた節があるようです。

 

これには一理も二理もあるでしょう。

 

「反逆」というのは体制側から見た場合の呼び名であり、純友側言い分は「自由を回復するための戦い」でもあったのでしょうか。

 

朝廷に虐げられた、地方の自由の回復というか。これは、東京一極集中の現代日本にも通じるところはあるかも知れません。

 

 

明海集落からすぐに山の上には、かつての純友の城があるらしいです。その城で使う水をを補給したというのが、こちらの井戸らしいです。

 

 

小さな説明書付き。「みなかわ」と呼ぶらしいです。

 

 

井戸も見終えたことで、お次は純友の城まで登山。なかなか急な山道が続きます。

 

 

少し行くと、ぎゅうぎゅうに建物が詰まった集落の全容が見渡せるようになります。いかにも離島じみた、狭い平地を精一杯使い尽くそうとした街づくり。

 

 

集落を実際に歩くと、こんな狭い路地が続きます。迷路のようで楽しいんですよね。

 

◾️純友の城へ到着!

 

 

そしてとうとう、山頂の純友の城へと到着しました。しかし、石碑が残っているだけで、他には城跡などの気配すらありません。

 

千年近くも昔のことなので、そりゃそうだと思いつつ、それでも少し残念にもなりました。

 

 

しかし、山頂からは雄大な豊後水道が眺めることができました。島影も多数浮かんでいます。

 

藤原純友もきっと、城の上からこの絶景を眺めていたのでしょう。そして海に目を光らせていたに違いありません。そう思うと、ややロマンを感じました。

 

この日振島には、藤原純友の隠した莫大な財宝が眠っているという「財宝伝説」が伝わっています。

海賊がいたところには、だいたい財宝伝説があるものですが、ここも例に漏れず。トカラ列島の宝島にも、キャプテン・キッドの財宝伝説が伝わっていますし。

 

地中に埋めた説、洞窟に隠した説、海底に沈めた説などありますが、詳しいことはよくわかっていません。そもそも財宝が実在するのかどうかも。

 

いつか、財宝が探し当てられることを期待しています!! 1000年越しの財宝発掘。実に夢とロマンに満ちています。

 

◾️痩せた猫たち(?)

 

 

日振島には、瀬戸内離島にありがちなのですが、猫が多かったです。

 

しかし島の猫たちは皆痩せていて、貧相でした。目をぎょろつかせています。あまり餌をもらっていないのか。

 

 

普通の「猫島」は、猫たちがもっとのびやかなのですが、ここではあまり愛されていないのかなーと、ふとそんなことを感じました。いや、分からないのですけど。

 

離島ナビ

http://ritou-navi.com

Translate »