「人名」として名を馳せた塩飽の島々、高見島と広島に駆け足で行ってきた話。
こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、塩飽諸島の高見島と広島に短時間ですが赴いてきたので、そのことについて取り上げてみたいと思います。
◾️塩飽諸島
塩飽諸島とは、瀬戸内海の香川県西部沖に浮かぶ島々の総称です。名前の由来は「塩湧く」とか「塩焼く」とか言われており、とにかく塩と関係があるようです。
現在では過疎化が進んでいますが、かつては「塩飽水軍」が活躍した地域です。塩飽水軍は、海運に強い集団で、あの秀吉や家康たちからも一目置かれ、江戸時代は「人名(にんみょう)」として、大名のように独立した自治が認められました。
中でも本島(ほんじま)では、塩飽勤番所が置かれ、塩飽の政治の中心になっていました。
http://ritou-navi.com/2015/08/27/honjima/
←塩飽本島の記事です。よろしければご覧ください!!
◾️高見島へ向かう
今回は塩飽諸島の中でも、まだ訪れていなかった高見島(たかみしま)と広島(ひろしま)に向かうことにしました。
まずは高見島の方から。多度津(たどつ)港から船が出ています。
高見島行きのフェリーに乗り込んだのは、もう夕方。日が暮れるまで、もうあまり時間がありません。
フェリーが近づいていくと、かなり標高が高く、まるで山が海から突き出しているかのような風貌。
港を降りてしばらくいくと、「ようこそ高見島へ! さざえ隊」なる看板が。さざえ隊について詳しくは知らないのですが、高見島を盛り上げるために組織された団体のようです。
ありがたいことに「お助け杖」が置いてあったので、使わせていただくことにしました。山の方へと向けて登っていきます。
途中学校を通りかかりました。この島は過疎化が極めて進行していて、人口ももう残り僅か。もちろん子供がいるはずもなく、廃校処分です。高見島に限らず、全国でこんな離島がどんどん増えています。
誰も住まなくなった廃屋もたくさんあります。蔦でびっしりと覆われていて、物悲しい感じです。
昔は人口が多く、田畑も切り開かれていたそうですが、今では信じられないことですが。
途中、丁寧に組まれた石垣に出くわしました。
さらに先をいくと、いい感じの高級そうな石垣が。こちらは「シアトル坂」と、なんとも離島離れしたネーミングが与えられているそうな。シアトルといったら、アメリカ西部ですよ。西海岸。
なんだか長崎のオランダ坂みたい。
シアトル坂の由来は、この家に住んでいる人たちが遥々シアトルに移民したからだそうです。こんな瀬戸内の離島からシアトルにまで移民するとは、当時の島びとたちの行動力に圧倒されます。
高台からの風景。もう日暮れ間近です。
かつては「寅さん」の撮影舞台になったこともあったらしい。私は寅さんとか見ていない世代なのですが。
夕暮れの墓地。お墓がずらりと並んでいます。島の人口よりもはるかに多い。
こちらも人気のない廃墟。
高見島は、全体的に廃墟になっていっている印象を受けました。限界集落という感じ。人口減少が着実に進んでいる日本では今後このような場所が増えていくことを考えると、なんだか複雑な気持ちになりました。
◾️翌朝、広島へ!
本土で一夜を明かし、次の日は早朝から隣の広島へ。
広島といっても、あのカープの広島じゃありません。塩飽の広島です。ここ重要。
広島へは、丸亀港からフェリーが出ています。丸亀とは、あの「丸亀製麺」発祥の地! ただ、丸亀には丸亀製麺は実はないらしいのですが・・・笑 実は関係ないのかなあ。
広島というだけあって、塩飽諸島の中では一番広い島であるようです。
港付近に、「いろは石の島」という不思議な石碑を発見しました。なんじゃ、これ。
港付近に貼られていた新聞に説明が載っていました。
島出身の書道家、藤本正樹氏によって、「いろは」の音にちなんだ名言が彫られた石碑が、島内の道沿いに設置されているそうです。
島おこしの取り組みの一つで、石碑に沿ってウォーキングも楽しめるようになっているようです。
「おかげ様」
「苦は楽の種」
なんだか、面白いですねー。石碑は、全て島特産の「青木石」の彫り込まれているようです。
◾️尾上邸
広島の名所というと、外せないのがこちらのよう。「尾上邸」という邸宅。
石垣も立派で、さらにそこからせり出した城郭の物見櫓のような構造が、この邸宅を造った人の財力を示しているかのようです。
この尾上邸は、江戸末期に千石船で繁盛した、廻船問屋の邸宅だそうです。当時の塩飽衆の海における活躍ぶりが偲ばれます。
◾️レキの墓
港付近にあった不思議なスポットが、「レキの墓」。
レキって誰? 日本人じゃないですよね、きっと。
1866年のその昔、英国艦が瀬戸内海の航路を測量中、レキという一士官がなくなり、広島に遺骸を葬ったそうです。
のちに江の浦の庄屋が英国士官の霊を哀れんで、懇ろに弔ったとか。
塩飽、そして広島の人たちの心の暖かさが伝わるエピソードでしょうか。
◾️さらに広島を散策
向かいの山が禿げているのが見えます。これは石を切りだした跡でしょう。
この島が石の島であることを思い知らされます。瀬戸内海の離島は、石の名産地であることがままありますが、この広島も例に漏れず。
こちらの神社も素敵な場所でした。
広島でも、高見島と同じくたいした滞在時間を確保できず、そそくさに後にしました。次に行く予定の離島があったからです。同じ塩飽諸島の、志々島、粟島です。
以上、高見島、広島についていくらか紹介しました。私もそこまで散策できていないので、それほど深くは紹介できないのですが、参考になれば幸いです。
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