世界遺産・補陀落山寺にて、南海の浄土を目指した“補陀落渡船”に思いを馳せる。
こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事では、少し特殊な内容を扱いたいと思います。それは中世の頃に紀南地方で行われた“補陀落渡船”という宗教行事についてです。そして補陀落渡船と関係の深い、補陀落山寺について。
■世界遺産、補陀落山寺を訪ねる
こちらが、補陀落山寺。ユネスコの世界遺産“紀伊山地の霊場と参詣道”にも登録されている立派なお寺です。
紀勢本線の那智駅からすぐのところにあります。補陀落“山”寺なので、山の中にあるのだろうと勝手に想像していたのですが、海のそばにあるので驚きました。
世界遺産指定を受けているためか、観光にも力が入れられているようです。お寺の方に聞くと、昔は補陀落山寺のすぐそばにまで海が迫り、那智の海を一望することができたようです。今では埋め立てが一部で行われて海岸が遠くなっていますが、昔は本当に海のすぐそばにあったそうです。
すぐ隣には、風情のある神社も。熊野三所大神社という、不思議な名前の神社です。
■補陀落渡船の展示
補陀落山寺がなぜ世界遺産指定を受けているかというと、ここで補陀落渡海という一風変わった宗教行事が行われていたからです。
補陀落渡海とは、仏教の修行者や僧侶たちを船へと押し込めて外に出られないようにし、南方へと流す儀式のことです。それに使われた船が、上の写真の補陀落渡船です。赤い鳥居が四方に設けられ、真ん中に小屋があります。この中に僧侶を押し込めるのです。
こんな小屋に人を押し込めて、生きたまま海へと向けて押し流す。怖ろしい儀式ですね。今でいえば、殺人か、自殺ほう助に近いような行為です。
でも南方には、補陀落という極楽浄土があると当時は考えられていたので、これは祝福された行事だったのです。今とは感覚が相当違ったことは認識しておくべきでしょう。現代の我々からすると図り知れませんが。
こちらは駅の近くの施設で見かけた補陀落渡船のジオラマ。
■補陀落への南海を見渡す
今では、補陀落山寺から海岸は少し距離があるのですが、十分に歩いていける距離です。途中線路があるので、地下道を抜けてまっすぐ歩くと海へと行き着きます。
砂浜の向こうには、煌めく海が。
この海は、補陀落渡海が行われていた頃の光景と、そう違わないでしょう。
僧侶たちは、死の恐怖もなく、心を整えて補陀落への渡海へと臨んだのでしょうか。必ずしもそうではないようです。
金光坊という戦国時代の頃の僧侶は、現世への未練が捨てきれず、一度渡船から脱出を試みたそうです。しかし信者たちに岩の上で休んでいたのを見とがめられ、再び小屋へと封じられ、また無理やり補陀落への旅をさせられたようです。怖ろしい話なのですが。
井上靖の“補陀落渡海記”という小説の題材にもなっているのでよろしければ見てください。金光坊の心の葛藤が綿密に描かれていて、面白いですよ。
金光坊が上陸して一時休止していた小島は、今でも金光坊島と呼ばれているようです。どれがその島か正確には分からなかったのですが、湾内に浮かんでいる一つの島がそうです。
青黒い海を見渡していると、補陀落へと向けてかつて旅立った僧侶たちの末路が思われ、果てしない気分になってきます。彼らは南洋の楽園、補陀落へと無事に辿り着いたのか、それとも海の藻屑と消えたのか。
しかしこの水平線の彼方に、夢の楽園が待っている。そう考えるのはとても分かるのです。この大海原を眺めていると。
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