「離島は差別用語」論について考察してみました。
⬛️「離島は差別用語」論?
最近のニュースですが、沖縄県の日本最先端の島・与那国町の町長が興味深い議論を提起していたことをご存知でしょうか?
それはずばり、「離島は差別用語ではないのか?」という論。これは極めてラディカルというか。めちゃくちゃ本質的な問題だと思いますし、「離島ナビ」をブログ名として標榜している以上、是非とも私としても考えてみたく思いました。こういった議論が、まさしく離島の首長から提起されたことはとても意味があることだと思います。
詳しいニュースについてはこちらをご参照ください。
→https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/460400
⬛️「離島」と「島嶼」
与那国島町長のおおまかな主張は、『「離島」は戦後に生み出された差別用語、戦前に使われていた「島嶼」という言葉を使って欲しい』ということのよう。
つまり町長によると、「島嶼」は差別用語ではないが、「離島」は差別用語であるということ。この二つの用語のうち「島」の部分は共通しているので「離」の部分が差別的だということに必然的になると思います。
⬛️何から「離れて」いるのか?
「離」というのは、もちろん離れているということ。何から離れているのかというと、普通に考えると「本土」から離れているということになるでしょう。 本土とは、本州、北海道、九州、四国の大きな日本の四島のことです。(ここに沖縄本島を含める場合もありますね。よく考えると「本島」というのも面白い表現です)。そこから離れているので「離島」という表現になるのです。
⬛️「離島」という表現は「本土中心主義」を反映している(!)
本土から「離れている」島。そこには、本土が中心というか、本当の土地であり、そこから離れている島はマイナーな存在であるというニュアンスが込められているように思います。「隔離」された場所という感じもあります。また本土から与えられた一方的な定義でもあります。
本土がマジョリティ的存在であり、離島はあくまで少数派。つまり、日本の中のおまけ的存在。そういった感じがあります。つまり「本土中心主義」なる思考様式の産物が「離島」という言葉には込められていると考えられます。
「日本は単一民族国家」発言というのが昔ありましたが、それに通底する面が確かにあるように思います。日本人=大和民族であり、琉球民族やアイヌ民族、在日の方などは国家のおまけ的存在である。そういった傲慢な物の見方の片鱗が確かに「離島」という表現にはつきまとうように思います。
「離島」といっても、そこに住んでいる人にとっては生活の場であり、かけがえのない大事な場所。つまり「中心」なのです。離島自体は、離れている訳ではありません。
そういう訳で、離島(島嶼?)の首長からこういった議論が提出されるのは、極めて当然なことのようにも思われます。これは、本土中心主義に対する怒りの現われなのです。
⬛️確かに「離島」は差別用語。だが・・・
という訳で、「離島」は確かに差別的な表現であることが見受けられました。
しかしながら「離島」という言葉が使われ始めて半世紀ほど。もうしっかり用語として国民の間に定着していますし、私個人としては「離島」という単語はとても好きです。(だからドクターリトーと名乗っている訳ですし)。しかしそう感じる理由には、私自身が島ではなく、本土に住んでいることが影響していると思われます。
普段の生活から「離れて」秘境に行くことが、島旅の醍醐味。だから島には本土から「離れていて」欲しいという思いはあります。離れているほどに、島は魅力的な存在ですし、海を隔てて「離れて」いることこそ離島の定義でもあります。しかしこれは本土に暮らす人間の一方的な見方にすぎないのでしょう。
そういう訳で悲しいかな、離島好きな私自身が「本土中心主義」に加担してしまっている訳です。離島に暮らす人間ではなく、単に島旅が好きであるので。
沖永良部島で一ヶ月過ごしたことはあるのですが、そのうち島で1年くらい暮らしてみようかな。そうすれば、島で暮らす人々の持つ感覚が少しは体感として理解できるようになるかも知れません。いや、離島好きとしてはそれくらいはしてみるべきでしょう。
しかし島嶼の「しょ」という漢字は書きにくいですね笑 書けるように、今からでも練習しよう! この漢字そらで書ける人、全国民の何パーセントくらいいるんだろう果たして。