さすがは世界遺産の島!!潜伏キリシタンの歴史の深い黒島を探訪しました。
ご無沙汰しております。こんにちは! ドクターリトーです。
今回の記事では、長崎県佐世保市は黒島(くろしま)について取り上げていきたいと思います。黒島を訪れたのは今年の3月だったのですが諸事情により更新遅くなってしまいました。黒島は、2018年に世界遺産に晴れて昇格した「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一角をなす「黒島の集落」を保有するとても貴重な離島です。是非とも本記事をお楽しみください。
沖縄の八重山諸島にも牛で有名な「黒島」がありますが、あれとは別物です。お間違えの無きよう。
⬛️九十九島最大の島
有名な観光地なのですが、長崎県佐世保市に「九十九島(くじゅうくしま)」というスポットがあります。
黒島を語る上で外せないのが、九十九島。
こちらは、展望台からの眺望。見渡す限り小島が並んでいます。まるで宮城の「松島」のような感じです。
名前の通り、多くの島が浮かんでいるので「九十九島」と呼ばれているようです。
ちなみに九十九島は「日本三大松島」の一角を占めるそうで、他の一つは「天草の松島」だそう。実感ですが、九十九島の方が、宮城の松島より遥かに上を行っているように思います。
しかし実際の島数は遥かに多く、なんと208ほどあるそうなので、「九十九」というのは実は間違い。まあ数が多いという程度の意味にとっておけば良いかと思います。
そして黒島は、九十九島の一つの島だそうで、面積はその中で最大です。
https://www.sasebo99.com/kujukushima/nbsp;
こちらは九十九島の地図ですが、先ほどの展望台の沖合、西方にぽつんと浮かぶのが黒島です。結構距離があるように見えますね。
⬛️黒島へ行こう!
それではさっそく黒島へ行ってみましょう。
黒島へ向かうには佐世保市街からいくらか離れた「相浦港」から、「フェリーくろしま」に乗り込みます。
世界遺産登録された割には、1日に三便なのでアクセスは要注意です。
→https://www.sasebo99.com/kujukushima/
(フェリーくろしま時刻表)
フェリー乗り場には、世界遺産登録決定!!の大きな旗が掲げられていました。
さあすがに世界遺産登録は、大事件であるようです。
⬛️美しき黒島
黒島を散策していてひしひしと感じるのは、集落が美しく整えられていること。
ご覧のように、梅の花や花壇がどこに行っても整えられています。そして道も綺麗。ゴミ一つ落ちていません。
「世界遺産の島」にふさわしく島民の方々もプライドを持たれているのかなと思いました。話を聞いたところ、昔からこんな感じだそうです。住民の方の深い島への愛情が伝わってくるように思いました。
こちらは、島の売店。
離島の売店には独特な雰囲気が漂っていますが、こちらも例に漏れず。
聞いたところでは、黒島を訪れる人は世界遺産登録以来激増したそうです。やはり世界遺産のブランド効果は半端ありません。全国の地方自治体が登録をこぞって狙うのも分かります。
⬛️黒島天主堂
世界遺産に登録されたのは、黒島そのものではなく「黒島の集落」なのですが、その中でも中心的なのは間違いなくこちらの「黒島天主堂」でしょう。とても素晴らしい建物です。
そもそもなぜ黒島の集落が世界遺産登録されたのかというと、黒島の島民たちは江戸時代のキリスト教弾圧期においても「潜伏キリシタン」として信仰を守り通したからです(島の人口の大部分が今でもキリシタンであるそうです)。
200年以上もの間、宣教師も牧師もいない中で何世代にも渡って信仰を維持できたことは奇跡的です。
五島列島においてもそうですが、離島というのは隔離された土地であるので、信仰が守りやすかったことがあるでしょう。半ば黙認されていたのかも知れませんが。
明治の世になってキリスト教が解禁されると、もう信仰を隠す必要がなくなったので、立派な教会を建てることになりました。
そういう意味では、この教会は島民たちの信仰の自由を取り戻した事に対する喜びのほとばしりの象徴であるとも言えるかも知れません。
黒島天主堂は1900年、フランスのマルマン神父が設計。島民たちの多大な奉仕の末に完成したそうです。
まさに黒島の魂といっても過言ではないでしょう!
こちらは教会の入り口。
両脇の石碑に
「第一萬事に超て天主を愛し」
「又己の如く他人を愛すべし」 と記されています。
入り口が白い壁で覆われているのは、現在耐震化・保存修理工事中だからです。ですので残念ながら中には入れませんでした。令和3年(2021年)3月末まで工事中だそうです。長いですね〜。工事が完了するのが今から楽しみです。
⬛️キリシタンの墓地
黒島は「キリシタンの島」なので、もちろん墓地もキリシタン風です。
といっても日本人の墓でもあるので、西洋人の墓とも違う独特な様式。日本の墓の上に十字架が乗っかっている感じです。
そして墓地の下方部位に小さな祠が設けてあってその中にマリア様が鎮座しているのが大きな特徴でしょうか。
キリスト教の教えと思われる文句が記してある墓もあります。
普通の日本の墓地はなんだか陰気臭いというか、亡霊でもでそうな近づきがたい雰囲気を感じますが、キリシタンの墓ってなぜかからっと乾燥しているというかとても明るい雰囲気です。
とても不思議なのですが、何がそう感じさせるんでしょうね。花とか活けて整えてあるからなのか、それとも彼らの死生観(天上での復活?)がそうさせるのか。
⬛️景色も美麗な黒島
黒島は徒歩で散策可能な程度の程よい規模の離島ですが、印象に残ったのは集落だけでなくどこもかしこも風景がとても美麗であること。
こちらの集落なんて、まるで桃源郷のようです。
島の休憩所に「くろしまっぷ」という地図が貼っていました。こちらは観光案内所でももらえたと記憶しているので、是非活用してみてください。
⬛️信仰復活の地
黒島の東側にあるひときわ目立つ石碑が、こちらの「信仰復活之地」の碑です。
なぜこちらが信仰復活の地であるか。それにはエピソードがあるそうです。
『1864年に長崎に大浦天主堂が建てられ、ローマから遣わされた神父達がいることを聞きつけた出口吉太夫・大吉親子は、命がけで長崎に渡り宣教師達に会い、黒島に600人の隠れキリシタンが潜伏している状況を報告しました。その後、黒島のキリシタンは、続々とカトリックに復活。外国人神父も来島し、1872年、出口家宅で島でのミサが初めて行われました。その後、出口家は黒島のキリシタン史上重要な場所になっています。』(ながさき旅ネット掲載)
つまり、こちらがその「出口家宅」であるということですね。
命がけで宣教師に会いに行ったというのが凄いです。黒島のカトリック復帰への物語がこの地に眠っているということですね。
⬛️教育にも熱を入れる黒島
こんな立派な校舎が突然視界に入ってきました。
「黒島小中学校(黒島はまゆう学園)」です。小中一貫9年間の教育が行われているそうです。小中を一貫して教育することによって、先進的な教育が行われているそうです。
そういえば広島県の大崎上島でもグローバル教育を掲げた学校がありましたが、離島というのは先進教育の地になる傾向があるようです。人口減に悩んでいるところが多いので(離島でなくても現在はそうですが)、魅力的な教育環境を整えることで青少年層を呼び込もうという戦略でしょうか。この立派な校舎を作るには数億かかったそうです。そういう意味でもすごいです(笑)
以上、佐世保市・黒島の紹介でしたが、まだまだ魅力的なスポットが満載です。是非とも黒島を訪れて地図を頼りに散策してみてください。
離島ナビ