浦上四番崩れで配流されたキリシタン達。岡山備前の無人島鶴島。
こんにちは。今回は岡山の無人島、鶴島(つるしま)についてです。ここは明治初めに隠れキリシタン達が流された島で、なかなかハードな歴史が残っております。雰囲気も独特で、でも訪れて良かったかなと感じました。
■鶴島に行く
鶴島はあまり有名な島ではないと思うのですが、岡山県の日生(ひなせ)沖合に浮かんでおります。
鹿久居島という大きな離島があるのですが、さらにその沖合に浮かぶ小さな孤島です。
鶴島には、昔は観光用の定期航路があったそうですが、今では船をチャーターして渡る他に渡航手段はありません。結構値が張るので、行きたい方はその分覚悟して参りましょう。そういう意味で、敷居の高い島と言えるでしょうか。航路的にも費用の面においても。
しかし美しい瀬戸内海をチャーター船で渡るのは、一際愉しい気分になります。まさに貸し切りですすね。陽の光が、瀬戸内海をキラキラと照らし出しております。これだけで、十分元を取った感じか。
味わいのある漁船も途中で見かけました。旅情あふれる瀬戸内海。瀬戸の海は外海と異なり、不思議な安心感を覚えます。人の手が入った海というか。
■鶴島を歩く
そこまで沖合ではないので、鶴島には数十分程度で上陸できます。岩壁の険しい孤島。
上陸しても、島内には建築物も、何もありません。ただただ荒野が広がるばかり。
自分以外は渡航客が誰もいなかったので、完全な無人島状態。無人島からと思って眺める海は、一味違います。ちょっとした和製ロビンソンクルーソーか。勿論、電話をかければすぐに迎えに来ていただける無人島生活ですが。
■キリシタンが流された島。
鶴島を訪れた目的は、キリシタンの歴史が残る島だからです。(実は私、しばらく前に洗礼を受けてクリスチャンになりました・・・笑。自分でも予想外の事でしたが、その話はおいおい)。
鶴島は今は無人島で、そして長い歴史の殆どが無人島であったのですが、かつて人が暮らした時期があったのです。時代は明治の初め頃、いまだキリスト教が禁教であった時期、長崎で信仰を表明した信徒達が大勢捕縛される事件がありました。「浦上四番崩れ」と言います。
この時信者達は、島根の津和野などに配流されたのですが、一部は岡山鶴島にも追いやられました。故郷から隔離して、この孤島で神道への改宗を迫り、まっとうな日本人へと「更生」させる事が目的でした。
棄教しない限りは食料も満足に与えられず、やがては病死する者達、即ち殉教者も現れ始めました。
三年半に渡る監禁生活の中、棄教する人もいましたが、それでも信仰を守り通した信徒達もいたと聞きます。いかなる生活であったのか、想像に余りありますが、まさに壮絶としか言いようがありません。
往時の地獄絵図など露知らない素振りで、ひっそりと静まり返る、静かな孤島。鶴島に、当時の記憶を尋ねたくもなります。
こちらは改宗を迫った祠。ここで説教が行われたようです。
島に散った殉教者達を慰めんかとするマリア像。マリア像を眺めると、不思議な安心感を覚えます。
繰り返しになりますが、いかなる生活を彼らは体験した事でしょうか。考えるだに怖ろしくなってきます。自分がもし彼らの立場だったとしたら、信仰を守り通せるだろうか、それとも屈してしまうだろうか。それはその時になってみないと分からない事かも知れません。
色々と考えさせられる時間を過ごしましたが、やがて迎えの船がやってきてくれました。現実に引き戻される時間です。数少ないとは思いますが、日本人信徒の方は是非とも一度は訪れて頂きたいと強く思う場所です。感想など聞いてみたいです。
■日生自慢のB級グルメ「かきおこ」
気分を変えて。キリシタン史跡とはほとんどというか、全く関係ないのですが、日生には「かきおこ」という有名なB級グルメがある事を、訪れてから初めて知りました。せっかくなので、食する事に。
「かきおこ」とは、言葉通り、蠣の入ったお好み焼きの略。
瀬戸内海だけあって、日生は蠣の名産地。その名産を生かしたグルメです。
訪問から時が経過してしまったので、少々おざなりな記事になってしまいましたが、鶴島はひっそりとした好き島でしたので、是非ともご訪問ください。