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モアイ像は「十像十色」!謎と神秘の絶海の孤島・イースター島を散策しました。

こんにちは、ドクターリトーです。今回の記事は本ブログ「離島ナビ」においても画期的な記事です。なぜなら初めて海外の離島を扱うのですから。日本の離島を十分に回りきった今、ついに「海外の島編」がスタートしました!

前回までの二回連続で、ピースボート101回クルーズに乗船した「船旅編」について書きましたが、今回から「寄港地編」です。一発目は「モアイ像の島」として知名度も人気度も共に高いチリ共和国の「イースター島(ラパ・ヌイ)」について取り上げたいと思います。

 

⬛️イースター島とは?

 

 

イースター島はずばり「絶海の孤島」というキーワードがしっくりとくる島。

なにしろこの島の周囲の広大な海に島影一つないのですから。もっとも近い島まで直線距離で2000キロというから驚きです。

 

Wikipediaより

 

イースター島はご覧のように、京都の八つ橋を彷彿とさせるような(?)綺麗な二等辺三角形の島です。いやー、この形いいですよね。

ちなみに面積は約163平方キロ。日本の離島と比べると宮古島(159平方キロ)とほぼ同じ大きさです。

宮古島くらいのサイズの島が、広大な海にぽつんと浮かんでいるとイメージすると、何だか気の遠くなる大変な感じがしてきますね。

人口は5000人程度なので、宮古島(5万人以上)の10分の1以下です。

一般的に「イースター島」と呼ばれていますが、現地では島のことを「ラパ・ヌイ(Rapa Nui)」と呼びます。今ではこの名で呼ばれることも多いです。ラパヌイとは現地語で「広い土地」を意味するとか。島は決して大きくはないのですが、ポリネシア人の基準では「大きい島」の部類に属するのかも知れません。

ちなみにイースター島は西洋人が名付けた名前だからです。イースターとは復活祭のこと。オランダの軍人が1722年の復活祭の日に発見したことが由来だとか。

 

⬛️ポリネシアン・トライアングル、イースター島の歴史

 

イースター島に人が住み始めたのは、それほど昔のことではありません。近年の研究成果によると西暦1200年頃のことだそうです。

イースター島で最初に暮らし始めたのは、ポリネシア人という人たち。

ポリネシア人というのは、「ポリネシアン・トライアングル」という巨大な三角形の海域に散らばる島々で暮らす人々のことです。ちなみにポリネシアン・トライアングルとは、ハワイ諸島、ニュージーランド、そしてイースター島を3点とした三角形のこと。

 


https://matome.naver.jp/odai/2144388680923166301

 

こんなに巨大な三角形です。このトライアングルの中では、遠く離れた島々でも言語や文化、習慣がほぼ共通しているという奇妙な現象があります。数千キロも離れた島同士で言葉がほぼ通じるというのは意外な感じですが、ポリネシア人がカヌーを操って海を渡っていた証左であるそうです。海洋民族ポリネシア人にとっては、この巨大な海域は「一つの大陸」のようなものだったのかも知れません。

余談ですが、ポリネシア人のもともとのルーツはなんと我らが東アジアの台湾にあり、台湾からニューギニアなどに南下していき、さらにポリネシアにまで進出したそうです。そういう訳で、実は私たち日本人とも近縁と言えるかも知れません。不思議な感じです。

ポリネシアのルーツについては「NAVERまとめ」が面白いので良ければご覧下さい

伝説の『ムー大陸』は陸地じゃなかった?

https://matome.naver.jp/odai/2144388680923166301?&page=1

ポリネシア人がこの島に入植して数百年が経過してから、オランダやイギリスなどの西洋諸国が進出し、ラパ・ヌイ人たちを奴隷として連行したり天然痘が流行したりしたため、人口が激減しました。その後チリ政府に領有化され、現在に至ります。

チリ本土とは明らかに文化、気候、歴史も異なるため、「チリの沖縄」のような存在と言えるかも知れません。イースター島の歴史は、近代以降はとても悲惨で哀しいものでもあるようです。

 

⬛️イースター島に向かう

 

 

イースター島には大きな船舶が停泊できるだけの整備された港がないので、オーシャンドリーム号は沖合の錨を下ろし、島へは小さなテンダーボートにて向かうことになります。一つの船に10人未満しか乗れないので移動はなかなか大変です。救命胴衣も着用必須。波が結構あるので、普通に濡れます。本当に波しぶきが飛んできます。船が徐々に遠くなっていきます。

 

 

そしてイースター島が近づいてきました。テンダーボードは目線がほぼ海面にあるので、島影はより雄大に感じられます。昔この島にたどり着いたポリネシア人たちも、こんな感じで上陸していったんだろうなあ。

見た所高い山などはなく、せいぜい丘程度しかありません。亜熱帯らしい深緑色の森や草原が見渡せます。どんなモアイに出会えるのだろうかと、わくわくしてきます。

 

⬛️アフ・タハイ

 

 

ツアーのバスに乗り込み、島内を移動してきます。

ちなみに個人旅行の際は、レンタカーやレンタバイクが利用できるらしいので、そちらを当たってみると良いらしいです。

こちらはハンガロアからほど近い、「アフ・タハイ」というかなりメジャーなスポット。向こうに船が見えますね。

 

 

モアイは一般的には目がない(慣用句ではありません)イメージですが、もともとはこんな感じで目が入っていたそうです。

そして頭に被っている髪の毛のようなかつらは、「プカオ」といいます。

モアイというのは、イースター島で部族間の内戦が行われた際にほぼ全てが打ち倒されて破壊されたので、今島で見られる屹立している個体は全て復元されたものです。

なぜモアイがなぎ倒されていたのか。それはモアイには部族を守護する力が宿るとされていたので、戦争の際には相手側の力を削ぐために倒したという説があります。

また目にモアイの神通力(?)が宿るとも思われていたので、目の部分も破壊したとか。そういった事情によって、モアイは今あるような姿になったそうな。

そういう意味では、このモアイは目やプカオまで再現された、今では珍しい「完全体モアイ」とも呼べるかも知れません。本来もともとイースター島に打ち立てられていた当時のモアイに一番近しい姿です。

 

 

こちらも近くにあるモアイ像たち。復元ですが、顔がかけたりして不完全なありさまです。

モアイというのはなんのためかというと、部族の重要人物の供養が目的とされています。彼らは死後もモアイに姿を変え、集落の守り神になっていたそうです。

そう考えるとモアイというのは、ただの像ではなく、この島の人たちと祖先たちを繋ぐ絆であったとも思われます。

しかし全ては現代においての推測過ぎず、本当のところは当時のラパ・ヌイ人に尋ねてみなければ分からないでしょう。やはりモアイは謎と神秘に包まれた存在です。謎と神秘に満ちた絶海の孤島、イースター島です。

 

⬛️島内風景

 

 

バスから風景が見えたので、ご紹介。

イースター島の大自然です。草原がただ広がっています。

 

 

こちらは丘のような山ですね。木が全く生えていません。色合いがグラデーションのようになっていて、とても美しいです。日本では目にしたことのない風景です。

イースター島は昔から木々がなかった訳ではなく、むしろ森林に恵まれていたと聞きます。今の島の様子からは考えられないのですが。モアイの製造に木を使ったことや人口増加によって森林資源を使いすぎたことが、森林の消滅を招いたそうです。

昔も環境破壊ってあったんですね。イースター島自体が小さな島なので、環境への変動はストレートに現れやすいことですし。

 

 

途中は牛たちの姿も見かけました。島内では酪農も行われているようです。

 

 

バナナ畑も見かけました。沖縄でよくみかける小ぶりの「島バナナ」と違い、本格的なバナナです。

 

⬛️アナケナ・ビーチ

 

 

バスが到着したのは、こちらのビーチ。「アナケナ・ビーチ」と言います。

イースター島自体にはビーチがとても少なく、二箇所しかないそうです。あとの部分の海岸線は全部黒みを帯びた岩で覆われているよう。日本の島でも大東諸島とかはそんな感じですが、それに近いかも知れません。

ハンガロアは島の西側の海岸にあったのですが、ここアナケナは島の東側の海岸。いつの間にか島を横断してしまいました。

イースター島は南の島にしては、とても寒いです。6月でも(南半球では冬に当たりますが)上着が必要なほどでした。チリ海流という寒流が南極の方から流れていて、それが島の冷涼な気候を作り出しているそうです。でもこの綺麗な海と砂浜を眺めると、やはり南の島であることを思い起こします。

このビーチの付近にもモアイの像たちが並んでいます。「アフ・ナウナウ」というスポット。

 

 

頭の上のプカオも4体分復元されていて、ここのモアイ像がイースター島で最も保存状態の良い像だそうです。

 

⬛️アフ・トンガリキ

 

壮麗壮大なる草原と丘を越えて、次のスポットへと向かいます。

イースター島にあるものといえば、モアイと草原。主にこの二つしかないように思われます。そしてモアイ。それがこの島の全て? 昔日の島民たちの痕跡は。モアイの他には見当たりません。

 

 

こちらは、「アフ・トンガリキ」というイースター島の中でも知名度の高いところ。モアイの像の数が一番多いです。これだけ数が並んでいると壮観です。

モアイとはもっと画一的で同じものが量産されていたのかと勝手にイメージしていたのですが、一体一体が高さも、表情も、スタイルもオリジナルであることを思い知りました。太っていたり痩せていたり、高身長だったり低身長だったりと、まるで人間そのものです。モアイが祖先の転生の姿なのだとしたら、それも当然のことなのかも知れません。

 

 

「十人十色」ならぬ「十像十色」。全てが別の個性を持っているのがモアイだということがわかりました。

 

 

こちらは横たわったままのモアイ。

 

 

モアイの並びに接近してみると、また味わいが違います。知り合いでもこんな顔した人いるなあ、とふと想像させる親近感。

 

 

このあたりには、馬たちも生息していました。近寄ると警戒して威嚇してきます。

ここを散策していて思い出したのは、「与那国島に似ているなあ」ということ。与那国島でも東崎のあたりは草原が広がり、在来種の与那国馬が草を食んでいる光景を見かけます。それにそっくり。

イースター島と与那国島は、何というか全体的な雰囲気が似ているのですね。本土から距離のある最果ての島であるという点も共通しているので、相通ずるところがあるのかも知れません。・・・地理的には北半球と南半球、全く遠い所に位置していますが。

ピースボートのクルーズディレクターは「自分の故郷の生月島とイースター島が似ている」としきりに言っていました。生月島の西側って、こんな雰囲気ですよ確かに。

 

 

モアイ像の裏手には、こんな寂しい感じの海辺がありました。

ここを眺めた時は、「この侘しい雰囲気、沖永良部島のフーチャのあたりの海と似てるなあ」とふと思い返しました。

 

 

こちらが、沖永良部島のフーチャ付近の海。天気が悪いので海の発色が良くないですが、雰囲気まさにそっくりでしょう?

そして奄美群島の沖永良部島は、大学生の頃に訪れて全国の離島巡りを始めたので、思い出深い島です。あの島からスタートして、ついに地球の裏側の絶海の孤島へとはるばるやって来るまでになったのですから、なんだか気の遠くなるような時の流れを感じました。日本を飛び出し、ついに海外にやってきたのかあと。

 

⬛️モアイ工場「ラノ・ララク」

 

ところで、イースター島のモアイたちはどうやって作られたのでしょうか?正解は、「ラノ・ララク」という火山の山腹のモアイ製造工場で造られていたのです!

イースター島は海底火山が噴火して隆起して出来た島。大陸から分離してできた島ではありません。だからこの島だけがぽつんと太平洋の中に生み出され、絶海の孤島になっている訳です。

ラノ・ララクも火山なので、良質の火山岩が豊富にあります。加工しやすかったので、この岩がモアイ造りに利用されるようになりました。

 

 

モアイが多くあります。その数400体というから驚き。

製造されたものの運ばれなかったモアイが放置されたり、製造途中のまま放置されたりと、もったいないことがされています。

 

 

モアイたちはすっかり土に埋もれてしまっています。まるで砂風呂にでも入っているかのように。

このラノ・ララクこそ、イースター島観光のハイライト。ツアーでも最後に訪れました。

 

 

この写真のモアイはとても分かりやすいのですが、火山岩から掘り出されていく過程で放置されたもの。岩を削っていった過程まで正確に見えるようです。これはとても興味深いスポット。

 

 

このモアイも面白いのですが、なんと・・・正座しています!

 

 

裏から見ても面白い。お尻まで付いています。なんだかモアイというか、人間の僧侶を思わせる。人間そのものを目の当たりにしている感覚に陥ります。

イースター島に正座の文化があったのか知らないですが、確かに正座しているのだからきっとあったのでしょう。

 

 

ラノ・ララクがイースター島でも随一で楽しいスポットでした。かつての島の繁栄をしのばせるモアイたちは、今でもひっそりとこの島を見守り続けているようです。

イースター島は通常はとても訪れるのが大変なスポットなのですが、「死ぬまでに行きたい秘境ベスト○○」の中に是非入れておくべきだと思いました。

このブログで鑑賞していただくだけでも良いのですが、今生の内に訪れてみてくださいませ。その価値はあります。

離島ナビ

http://ritou-navi.com

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